第54回 道長の重大な二つの依頼
彰子の懐妊が分かっての4月、葵祭りに妊婦がいてはまずいという宮中のしきたりに香子は疑問を抱きながらも、中宮彰子一行は、実家の土御門殿に行啓しました。
道長の香子への歓待はすさまじいものでした。恭(うやうや)しく丁寧に。
「式部殿が来てくれたから中宮は懐妊できましたのじゃ」
「いいえ、大殿と中宮様の懸命の努力と思います」
香子は悪い気はしませんでした。
5月末、梅の季節の頃。『源氏の物語』の一帖を持って、道長が中宮の元へやってきて、梅の実があるのを見て戯言で次の歌を詠みました。
「すきものと名にしたてれば見る人の をらで過ぐるはあらじと思ふ」
(浮気者という評判が立っているので、そなたを見る人で口説かずにすます人はいないだろうね)
梅の実が酸っぱいという事と、香子がすきものー好き者ー好色なものという事を掛けたのです。しか中宮の御前で好き者と言われては香子の立場がありません。香子はすぐに返歌しました。
「人にまだ をられぬものを誰かこの すきものぞとは口ならしけむ めざましう」(人にまだ口説かれた事もありませんのに、誰か浮気者という評判を立てたのでしょうか。心外ですわ」
いつの間にこんなに仲良くなったの?という感じですが、彰子懐妊の喜びに一同は浸っていました。
それから中宮一行は6月に一度、一条院内裏へ還啓し、再び7月16日、土御門殿に退下しました。産み月は9月です。
そして道長は香子を呼び、二つの重大な提案を示しました。
「藤式部殿。中宮様は皇子をお産みなさる。それまでの記録を日記としてつけてほしい」
今の様に記録の機械がある訳でないので、後世に遺すものを一つ依頼したいという訳です。
「今一つ、中宮様が皇子誕生で一条院へ還啓なさる時、何か華々しい土産を持たせてやりたいのじゃ。『源氏の物語』を完成させてほしい。式部殿ならできるじゃろ?」
香子は、はいと平伏しました。
日記はともかく、物語を一応完結させなければならない。明石の姫君を東宮に入内させ、めでたしめでたしでいこうと絵を描いた。またそれだけでは物足りないので夕霧と雲居の雁を一度別れさせてやがて結婚するという二重の慶事を設定しました。
「秋の気(け)はひ入りたつままに、土御門殿の有さま、いはむ方なくをかし・・・」
香子は日記をつけ始めました。(続く)
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