第20回 ヒトラーの侵略続く。
ドイツ共産化を恐れる富裕層の莫大な援助によって、ヒトラーは公共政策を推進し、アウトバーンなどを作って雇用を促進し、4割以上が失業という事態を収束させ、1,935年にはほぼ完全雇用を実現させました。ヒトラーに懐疑的だったドイツ国民はヒトラーを信頼しました。
35年3月1日には、第一次大戦でフランスに割譲した80万人いるザール州が住民投票でドイツに帰属を決めました。これは合法的なものでした。
更に3月16日は何とヴェルサイユ条約で禁止された再軍備宣言をしました。
英仏は沈黙していました。そして翌36年3月に非武装地帯であったフランスとの境のラインラントに進駐しました。この48時間をヒトラーはとても緊張したと後で述べています。この頃はフランスの方が軍事力が上だと想定され、フランスが進軍してきたらすぐに退却する気だったのです。
しかしフランスは国内のゴタゴタで攻めてきませんでした。それに戦争にしたくなかったのです。
ヒトラーはその年、8月ベルリンオリンピックを開催し、ナチスドイツの力を誇示しました。
そして1938年3月、同じドイツ語圏だとして、オーストリアを併合してしまいました。映画『サウンド・オブ・ミュージック』での後半の場満でよく出てきます。
ここまでは黙認してきた英仏ですが、ヒトラーはドイツ人が多いとして、その年の9月、チェコスロバキアに対してズデーテン地方の割譲を要求しました。
さすがにこれは看過できないとして、ミュンヘンに英仏独伊の4か国が集まり、会議が決裂すれば戦争の可能性もありました。
しかし「これが最後であるから」というヒトラーの言葉を信頼し、イギリスのチェンバレン首相は要求を認めました。
ですが「これが最後だから」という人の言葉は余り信用できません。
イギリスに戻ったチェンバレンは空港で、「これで第二次世界大戦は避けられました」と言って歓待を受けましたが。チャーチルは「ナチへの宥和だ」と苦言を呈しました。人々は心配しながら1938年を終えようとしていました。(続く)