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第2回 忠実の恋

今日は朝から近くのネカフェに行って、コミック『逃げ上手の若君』9巻を読んできました。年末に『太平記誕生』を上梓しようと思っているので参考になりました!時間はかかりましたが(笑)その次の作品『銀閣誕生』も考えていて、『新九郎 奔(はし)る』もあって1巻目だけ読んで2巻目にいった時、さすがに6時間となり頭が痛くなってきたので次回に持ち越しました(笑)

さて、白河上皇が近臣を無実の罪で伊豆大島に追い払ってその妻を祇園の女御にした年の正月16日、陽明門院禎子内親王が82歳で亡くなりました。偉大なる姉彰子の陰に隠れて息を潜めるように生きていた母・妍子。そして自らは従兄の後朱雀天皇の后になりながら、伯父頼通の圧迫であわや我が子尊仁親王も廃太子の危険があったのですが、同じ叔父でも能信が身を張って助けてくれ、我が子は後三条天皇となり、孫の白河上皇、曾孫の堀河天皇が即位し、我が子が早く崩御したのは辛かったでしょうが、満足した生涯を送ったのではないでしょうか。

9月5日には右大臣源顕房が58歳で亡くなります。白河上皇最愛の亡き中宮賢子の父で、前年度には異母妹師子に手をつけ懐妊させ、しかし顕房はひるむ事無く入内に猛反対したのでした。たいがい忖度して娘を入内させる公卿が多いですけれど。こんな気丈な面が藤原氏に批判的な歴史書『大鏡』の作者に擬せられるのかも知れません。

そして11月。大変な事が起こりました。摂関家の御曹司・忠実(17歳)が節会で前述の師子(22歳)の姿を見て、恋煩いになってしまったのです。
実は忠実には12歳の時に再従姉の左大臣源俊賢の娘任子を正室に迎えていました。しかし忠実はその政略結婚よりも本当に恋した女性を妻に迎えたかったのです。
病となり、死ぬかも知れないという状態を見かねて祖母の麗子(師実の正室であり、俊房・顕房の妹)が白河法皇に結婚の許可を求めます。
かつて子供まで作った中の師子ですが、白河上皇は結婚を認めます。
若い忠実は大喜びでしたが、これで一生白河上皇には頭が上がらなくなります。その辺も抜かりのない白河上皇だったのかも知れません。(続く)

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