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第96回 真珠湾奇襲攻撃

1941年12月1日、日本では御前会議が再び行われ、ハワイへの攻撃が正式に決定しました。「ニイタカヤマノボレ」の暗号を出しました。
ここでいまだに解明されていない謎があります。日本は攻撃30分前に宣戦布告を出す予定でしたが、長い日本文を英文に翻訳するのが手間取り、攻撃からだいぶ後になったというのです。真偽はいかに?

現地時間で12月7日(日本時間は8日)午前7時52分、山本五十六の案で、日本の航空母艦と戦闘機零銭で、南雲(なぐも)忠一、源田実などの活躍により、見事に真珠湾基地は破壊されました。
特に長崎の三菱造船所で造られた浅海用の魚雷が効果を発揮しました。真珠湾は浅海で、魚雷をきちんと戦艦にぶつけるのには非常な訓練と技量が要りました。魚雷が海底に突っ込んでしまうからです。零戦はぎりぎりまで低空飛行して魚雷を発射しました。アメリカ側に2300人余りの死者が出ました。
戦艦アリゾナの艦長であったキッド提督は爆薬庫の爆発と爆弾の直撃で死亡しました。アリゾナ号だけでも1100名以上が亡くなりました。

成功を知らせる「トラ・トラ・トラ」の暗号が来て日本側は大喜びでした。しかし戦艦4隻は破壊されましたが、アメリカ政府の指示で、一番大事な航空母艦は別の所に逃がされていました。
「妙だな、まるで奇襲を知っていたかのような・・・」
山本五十六は不審に思ったのでした。(続く)


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