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第52回 伊勢大輔(たいふ)「いにしへの」

寛弘4(1007)年3月、興福寺の遅い八重桜を受け取る接待役として香子が任じられました。しかし香子はそれを若く、自分を慕ってくれる伊勢大輔に譲る事にしました。
「新参の者がなるという事ですが、厳密には私は二年目ですし」
実際にはお気に入りの伊勢大輔に譲って、関係を深めたいと思ったからでした。予想通り、大輔は心配げに香子の局にやってきました。
「大丈夫、そなたのお祖父様(大中臣能宣)も立派な歌詠みではなかったですか」
香子は優しく言い、小柄な大輔は可愛くはにかみました。
当日、大輔は、「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」と立派に詠みました。「けふ」は「今日」と「京」を掛けており、「九重」も「九重(宮中)」と「ここの辺(このあたり)」を掛けていました。そして八重よりも更に九重が一層華やかであると讃美した歌でした。人々は簡単し、喝采が鼓の様に場を包みました。
同殿していた中宮彰子もいたく喜び、香子にも歌を命じました。香子は
「九重ににほひをみれば桜狩 かさねてきたる春のさかりか」-今、宮中で咲いている八重桜を見ると、桜見物の春の盛りが再びやって来た様ですー
と素晴らしい歌を詠み、また喝采を受けました。
中宮は喜び、傍にいた道長も喜びましたが、一人正夫人の倫子は、どんどん威勢を増す香子を、複雑な表情で見ていました。(続く)

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