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第106回 大輪田泊(おおわだのとまり)と二条天皇の皇子誕生

音戸の瀬戸の掘削工事を視察するため、京との往復を清盛はしていましたが、摂津のあたりで清盛は長男の重盛に船の中から言いました。
「厳島では都から遠すぎる。博多はもっと遠い。この大輪田泊(おおわだのとまり)をもっと改修して良い港を造るのじゃ。日本は貿易でないと繁栄せぬ。宋から銭をたくさん仕入れよう」
「父上、良いお考えにございます」
二人の父子は眼を輝かせて、近い将来、商売の人で賑わう港町を思い浮かべたのでした。(後の神戸港)

その少し後の長寛(1164)年11月、二条天皇(21歳)と伊岐致遠の娘との間に皇子が生まれました。本当は7月にも皇子が生まれていたのですが、何か由縁あってこの11月に生まれた順仁(のぶひと)親王が嫡系とされました。(後に六条天皇となります)。
母の身分が低いので、少し前に入内した中宮育子(前関白忠通の娘)を母后としました。
これで二条天皇はひと安心でしたが、異母弟・憲仁親王(4歳)を擁立しようとする平家の動きを警戒していました。(続く)

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