第32回 平清盛(8)
1173年、清盛56歳の時、大輪田泊(おおわだのとまり)ー神戸港ーを拡張し、日宋貿易が本格的に開始されます。清盛は莫大な宋銭を得ます。お金そのものを貰うなんて変な感じですが、また日本で造った貨幣はすぐ壊れたりして、当時は中国の貨幣の方が信頼されたのでしょうね。
順風満帆だった平家ですが、1177年から翳りが出てきます。
それは清盛の義妹で、後白河法皇の寵妃・建春門院滋子(しげこ)が35歳の若さで亡くなってしまうのです。12歳の高倉天皇の母でもありました。
ここで後白河法皇ははっと気がつきます。清盛に頼り、清盛を取り立てていたら、平家は異常なほど強くなっていた。
後白河法皇は感情の起伏が激しく、(よく言えば今様をこよなく愛する芸術肌)愛憎で、仲が良かった平家を憎み出します。
そして鹿ケ谷の変で、平家打倒を計画しますが、すぐに密告者が出て失敗。
後白河法皇の近臣らは斬られたり、流罪となったりします。
法皇にはさすがに手出ししなかった清盛ですが、法皇の平家への憎しみは募るのでした。(続く)