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第167回 清盛の死(1)

治承5(1181)年正月14日。ずっと病床にあった若き高倉上皇は、遂に二十一歳で崩御しました。長らく父、後白河法皇と清盛の不仲を案じた生涯でした。
清盛は仕方なく、後白河法皇の院政を請う事にしました。しかし大権は清盛が握る形は譲りませんでした。
諸国では、四国の武士たちが、平家を裏切って源氏に付き、また九州でも亡き為朝をいまだに恩義に思う緒方などが平家を裏切り、源氏に付いている事が報告されました。
「恩知らずな者どもばかりよ」
清盛にとっては嫌な知らせばかりでした。

2月25日、清盛は腹心の盛国の邸に久々に気晴らしのため出かけました。
酒の席は盛り上がりました。もともと五つ年上の盛国は、主従というより清盛にとって昔から兄の様な存在でした。
しかし帰ろうとした時、清盛は急に激しい高熱に襲われました。
神経をすり減らす日々が健康を奪ったのです。
清盛はすぐに床に寝かされ、知らせを聞いた人々が盛国の邸に集まってきました。

ちょうど計画されていた宗盛の東国遠征は延期されました。
毎日高熱が出て、それは治まらず、次第に清盛の体力は消耗していきました。
清盛は枕元の一族に言いました。
「わしの葬儀などいらぬ。ただ頼朝の首を墓前に供えよ」(続く)

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