第133回 後白河法皇の一旦敗北
盛子から所領を取り上げた4日後、後白河法皇は病の重盛を見舞いに来ました。それで清盛は抗議をする事ができなくなりました。
しかし7月29日、重盛が42歳で亡くなると法皇は重盛の知行国だった越前も没収しました。
「おのれ、法皇。子々孫々まで継がすと約束した癖に・・・」
悲しみの中で、清盛の怒りはむくむくと頭を上げてきました。
そして後白河法皇は重盛の喪中の間も音曲をし、遊山に出かけました。
10月21日、清盛は中納言に女婿の20歳の近衛基通を奏請しますが、法皇は嫌がらせの様に仲の良い関白基房の息子で僅か8歳の師家を任じました。
「平家がどれだけ法皇に尽くしたと思っておるのか!」
政権の基盤が弱い法皇は少し年上の清盛をずっと頼っていました。しかし今は完全に潰そうとしています。
11月15日ついに清盛は数千の兵を率いて福原から京にやってきました。
法皇の近臣39人の官職を停止し、関白基房は出家しましたが備前に流し、女婿の基通を関白にしました。
そして20日、清盛は後白河法皇の法住寺殿を取り囲みました。
「しまった、やり過ぎたか」後白河法皇は後悔しましたがもう遅かったです。「どこへ連れていくのじゃ。島流しにでもする積りか」
讃岐に流された異母兄・崇徳院が浮かびました。
法皇は鳥羽殿で軟禁状態となり、一切政治には口出しをしないと約束させられたのでした。(続く)