第42回 明石の君(3)
「とくに美人という訳ではないが、上品で教養がある」と『源氏物語』の明石の君評です。紫式部は、時折自画像的なものを、空蟬や明石の君、宇治十帖の中の君などに投影しています。
最初の評は、香子自身もそう思っていたのではないでしょうか。六条の御息所にどこか似ているとも書いてありますが、明石の君は更に謙虚です。身分差もあったのかも知れません。
源氏は教養ある女性に魅かれる様です。明石の君は琴や琵琶など楽器も得意です。(紫式部自身も琴の名手でした)
そして1年も、源氏に体を許しません。もう源氏としてはぞっこんになったでしょうね。
明石の君が母と幼い娘を連れて、今の嵯峨野辺りの別荘に住まい、源氏はしばしば通いますが、数え年3歳の姫君を紫の上の養女にしようと提案し、実行します。東宮への入内が想定されているので、母の身分が重きをなすのでと明石の君の母親も説得し、娘を手放します。まあ子供のいない紫の上をなだめる目的もあったかも知れませんね。
生活臭を感じさせない明石の君のセンスの良さは「愛人の鑑」とも言われます。かつて女優の山本陽子さんが「徹子の部屋」で愛人であった事を笑いながら述べて、相手が望む事を先々にやっていたというのを説明し、徹子さんがまたへえーと感心してました。相手が帰ると車で尾けて行って、奥さんの元へ帰ったのを確認して安心して帰ったそうです。奥さんならいいけど、別の女だと許さないと思ったとか。
さて、8年後、11歳で明石の姫君は裳着をして東宮に入内します。現実には彰子が12歳で裳着をして入内しているので違和感はなかったでしょう。
ここで明石の君は女御として入る自分の娘付きの女房として久々に会い、そして紫の上とも初対面します。
「あさきゆめみし」では紫の上が明石の君を好敵手と思ったと描いていますが、『源氏物語』では鼻から相手にしなくて(親王の娘と受領の娘なので)、この頃の紫の上の脅威は、同じく親王の姫(女王)である朝顔と源氏が結婚しないかという事でした。結局、女三の宮の登場で全てが打ち砕かれますが。
そして明石の姫君は13歳で早くも皇子を出産します。懐妊中に宿下がりしていた時に明石の尼君が涙ながらに全てを打ち明けて、姫君は自分の事情を知り、周囲の人々に感謝します。源氏もやってきて「成さぬ仲であった貴女を育ててくれた紫の上に感謝しなさいよ」と言います。たまには源氏もいい事を言いますね。
明石の君は決して出しゃばる事なく、仕えます。そして女三の宮の降嫁で壊れていく紫の上を遠くで見ながら母親としての喜びを噛みしめます。
ただ、瀬戸内寂聴さんは著書『源氏に愛された女たち』の中で、
「妻をやめて、母になりきった明石に魅力を感じません。女を捨ててまで安住する幸福などつまらないものだと私は思います」
と書いています。これをミニ講演で紹介すると、何人かのおばさま方からブーイングがあって、「自分は好きなように生きてるから」と不満そうでした。もちろん寂聴さん自身は本当は子供と別れたくなかったでしょうけど事情が許さなかったのですが。(もう1回続けます)