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第97回 摂関家・忠通の死

長寛2(1164)年正月、流されていた、二条天皇の外叔父・藤原経宗が呼び戻され、権大納言に還任しました。清盛の指示であったので二条天皇は感謝しました。先年は、義妹を後白河上皇の元にやり、皇子を産ませていて、やはり「あなた、こなた」と遊泳術に巧みでした。

その頃、摂関家の忠通が危篤でした。父や弟との確執の人生を思い浮かべ、ただ涙するばかりでした。遅くにできた長男の基実(22歳)以下の子女が枕下にいました。忠通は力を振り絞って遺言しました。
「今は平家と組めよ。それが摂関家を盛り返す道ぞ・・・」
こうして、2月19日、栄光を誇った道長・頼通の直系の子孫・忠通は68歳で亡くなりました。
早速に平家の娘との婚儀が画策されました。(続く)

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