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第34回 ロバート・オッペンハイマー

1939年1月中旬、西海岸サンフランシスコ郊外のカリフォリニア大バークレー校でも、ウランの核分裂の話題が出ていました。
その中に物理学の教授で35歳のロバート・オッペンハイマーという人がいました。父がドイツから来たユダヤ人で、商売に成功し、富裕な家庭となっていました。子供の頃から頭脳明晰だったロバートは、ハーバード大を3年、しかも首席で卒業したエリートでした。
生徒にも「オッピー」と慕われていました。ただ優秀でない生徒には容赦なく罵倒し、恐れられている一面もありました。

オッペンハイマーは最初、「そんなの無理だ」と言っていました。しかし助手が実験を進める内、今度はオッペンハイマーの方が身を乗り出しました。ウランの核分裂は可能なようでした。
「しかし理論は分かったが、これを爆弾のレベルにまで持っていくのは難しいな。今は電球程度だし」
オッペンハイマーは、得意の煙草を咥えながらのポーズでつぶやきました。しかしこうも思いました。
『だが爆弾にするのに成功すれば、大きな名声を得るかもしれない』
オッペンハイマーは同僚が次々とノーベル賞を取っていくのに、自分の論文は候補にもあがらない事に焦りを感じていたのです。(続く)

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