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第61回 基経と高子の確執

蔵人の頭(頭の中将)であった業平の死で、後任を決める際、早速基経と高子の間に亀裂が生じました。
基経は、源興基(おきもと)なる者を推挙しました。しかし高子はすぐに拒否しました。理由は興基の妹が清和天皇の女御で寵愛を競った相手だったからです。清和天皇を高子が本心から愛していたかどうかは疑問の所がありますが、やはり恋敵は不快なものでしょう。

高子は、我が子陽成天皇が東宮の時に長らく傅(ふ)をしてくれた右大臣氏宗の息子春景(はるかげ:宝塚の『花の業平』にも出てきます)を推しました。氏宗の後妻は高子の異母姉淑子で喜ぶだろうとも思っていました。しかし淑子は先妻の子などどうでもいいと思っていました。養子の定省王だけが全てだったのです。

13歳の陽成天皇は、幼いながらも当然母の威を汲み、春景を蔵人の頭に任じました。
しかし、最大の権力者基経に睨まれては春景は出仕できません。

そして欠勤続きの春景は、9月に懐妊され、代わって藤原有実が頭に任じられました。基経と高子の従兄弟に当たり、中立的な人事でした。

しかし周囲はこの先どうなるのだろうかと不安を募らせるのでした。(続く)

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