第25回 摂関家の姫・勲子(泰子)の入内
忠実が復職してから、娘勲子の入内話が頻繁に出てきました。
璋子は、鳥羽上皇が自分付きの女房に手を次々と付けるのを愉快ではないけれど黙認してきました。しかし今回は違います。ただ一人の后として来た地位が身分の高い女性に脅かされるからです。ちょうど『源氏物語』で女三宮が降嫁する時、紫の上が悩んだように。
「白河院様は、勲子の入内を永久にならぬと申されたではありませんか」
いつになく激しい口調で璋子は言いました。
「そうは言っても忠実が気の毒じゃしのう。勲子の入内話で20年前に白河院様から蟄居を命じられたのじゃ。それに昔は摂関家の姫が入内するのは当り前の事。白河院様とて、養女ではあるが、関白師実公の姫・賢子様が入内された・・・」
2歳下の夫・鳥羽上皇は弁明に務めました。
そして忠実の復帰から2年を経て、長承2(1133)年5月、勲子の入内が決定したのでした。
6月の初め、璋子は、自分を慈しんでくれた白河法皇の火葬塚に詣で、激しく慟哭しました。今まで蝶よ花よと大事にされ、自分の思い通りにならぬものなどなかったのに、法皇亡き後、自分の運命が傾いていくのが分かったのです。更に陰陽師・安倍広賢に運命を占わせると、「不吉」と出た事が更に璋子を悩ませました。
6月29日、勲子は「泰子」と改め、入内してきました。
璋子付きの女房たちが慰めます。
「あちらは姫と言ってももう39歳。それに色香とは縁遠いお方とか・・・」
実際、婚期を逃し過ぎた勲子は、お付きの者が「春画」などを見せてそれとなく示唆しても、顔をそむけたといいます。
期待して寝所にいった鳥羽上皇(31歳)もがっかりの様でした。
璋子はそれを聞いてほっとします。しかし次の不安がやってきました。
鳥羽上皇は「どこぞに良い女はおらぬのか」と近臣に聞きます。
8月19日に権中納言・藤原長実が59歳で亡くなりました。
「長実の17歳の姫は美しいとか。それに左大臣であった源俊房公の娘御が母らしいです」
「そうか、長実の喪が明けてからでも入内させよ」
鳥羽上皇が愉しみにします。
翌年正月13日から2月6日まで、鳥羽上皇は璋子と恒例の熊野詣でに出かけます。もう7度目の事でした。
そして帰京してからまもなく、亡き長実の娘・得子(18歳)が入内してきました。鳥羽上皇は得子に溺れ、朝も政務に出て来ないという日々も出てきました。(続く)
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