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第8回 ノーベルの立場

ノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルは1833年10月21日、スウェーデンのストックホルムでイマヌエルの4男として生まれました。イマヌエルは8人の子を儲けましたが、アルフレッドの少年時代、一家はとても貧しく4人しか成人しませんでした。
父イマヌエルは貧しいけれど発明家で爆弾に興味を持っており、アルフレッドも幼少期から爆弾に異常な興味を抱いていたと言われます。それは元は、採掘や土木工事で苦労する人々を見て、もっと楽に作業をさせたいと思ったとも言われています。

破産していたイマヌエルは、ロシアのサンクトベルクに単身で行き、機雷製造で成功し、一家を呼び寄せます。アルフレッドにも複数の家庭教師が作られます。アルフレッドは、クリミア戦争(ロシアの進出を抑えようとした英仏との戦争)で一時、大儲けしますが、ロシアが敗北し、代金を支払ってくれなかったのでまた破産します。
アルフレッドはスウェーデンに戻り、当時暴発するニトログリセリンの研究に没頭します。途中、爆発事故で弟と5人の助手が亡くなったり、特許を巡って裁判沙汰になったりしますが、比較的安全な爆弾に成功。ギリシャ語で「力」という意味の「ダイナマイト」をついに発明します。
1871年、珪藻土(けいそうど)を活用し、より安全に仕える様になったダイナマイトを50か国以上で特許を取り、100以上の工場で生産し、アルフレッドは巨万の富を得ます。
アルフレッドは、ダイナマイトが戦争に利用される事は想定していたと言われています。そしていくつかの言葉を遺しています。
「世の中に悪用されないものはない」
「ダイナマイトの威力を見て、逆に戦争をなくそうとするのではないか?」

しかし、ほぼ同時期の南北戦争で、連射式の銃、ガトリング砲を作ったリチャード・ガトリングは「これだけ殺傷能力がすごい武器を作ったのはもう戦争をしたくないと思って貰うためだ」と同じ様な事を言っています。現実にはダイナマイトも銃も使われ続けましたが。
原爆を発明したオッペンハイマーも「原爆の威力を知ったら、戦争はもう起こらない」とこれまた同じ事を言っています。「核による抑止力」を支持する人も現実的には多いです。

1888年4月12日、兄のルドヴィックが亡くなったのを新聞社が間違えて「死の商人死す」という見出しで、本文は「かつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた」というのを出し、それを読んだアルフレッドはひどくショックを受けました。独身だった事もあって全財産の9割を「ノーベル賞」として、人類の発展に功績を果たした人にあげてほしいとして現在に至っています。
戦争の抑止になると思ったダイナマイトは、更に発展して戦争の激化を招いたという事をノーベルはどう思っていたでしょうか?
ダイナマイトの本格的な戦争使用は日露戦争(1904~05)だと言われています。2300kgものダイナマイトでロシアの要塞を吹き飛ばし、結局この戦争で双方合わせて16万人以上の尊い命が失われました。その後、第一次、第二次世界大戦へと被害は拡大していきます。(続く)

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