第2回 平城天皇
平城天皇は、業平の直系の祖父です。あの平安京を造った桓武天皇の第一皇子として生まれ、806年3月、桓武天皇が70歳で崩御されると33歳で即位しました。ただ、桓武天皇は平城天皇の弟で優秀な神野親王(21歳)を愛していたようで、すぐに皇太弟の位に就きました。
偉大なる父・桓武天皇。その幻影を追う様に平城天皇は政治に取り組みます。全国も行脚していた様で、私の住む兵庫県では神戸市西区の神出公園に来られたと言う碑が建っています。
しかし余りにも精力的にされたせいでしょうか。それに元々癲癇の症状も持っていたので、在位丸3年の809年4月に譲位し、新しい東宮には我が子高岳親王(11歳)を立て、嵯峨天皇の代が始まります。
平城天皇は上皇となって旧京・平城京に住まいます。ところが義務から離れたせいでしょうか、平城上皇の体調は良くなります。
ここで上皇の近くにいたのが、妃の母で藤原薬子。稀代の悪女とされていますが、最近では別の見方もされている様です。
平城上皇は元の権力を取り戻そうと軍を上げますが、坂上田村麻呂などが協力せず呆気なく敗北します。薬子は自殺。
上皇の子、高岳親王も廃太子となり、上皇は宮(現在の不退寺?)に籠ります。上皇の第一皇子阿保(あぼ)親王(業平の父)も連座で遠く大宰府まで流されます。
平城上皇は離宮で約14年留まり、824年7月、51歳で崩御します。しかしその子孫たちが独特な形で歴史に足跡を遺すのでした。