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第28回 五節の舞姫と乳母の阿倍睦子(むつこ)

安祥寺で法事のあった貞観元(859)年11月、恒例の五節の舞姫があり、そこに良房の養女で18歳の高子が出るという事が分かりました。
その直前の10月、12歳の恬(やす)子内親王が伊勢の斎宮に決まり、潔斎とこに出て行きました。業平にとっては妻の従妹になる訳で見送りでもしたでしょうか?

さて、高子ですが、現在10歳の清和天皇が元服したら良房はきっと入内させるだろうというのが専らの噂でした。今回はそのお披露目です。
業平は友人の常行(ときつら・24歳)と一緒に観に行ったと拙著では設定しました。
高子は噂に違わぬ美貌で、他の舞姫よりも抜きんでていました。僧正遍照の
「天つ風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ をとめの姿しばしとどめむ」
ではないですが、高子の舞い姿は人々の心を鷲掴みにしました。

ここで35歳の業平に野望が出てきました。
「高子を自分のものにしたい。そしてあの良房の鼻をあかしたい」
良房は自分の父阿保親王を「密告者」に仕立てた張本人でした。業平も「密告者の子」と後ろ指を指された事があります。良房は父を密告者にして自分の甥を東宮とし、そして孫を天皇にし、また養女高子を使って永遠に権力の座に居座ろうとしています。
「そうはさせぬか。一矢報いたい」

しかし、高子が住まう東五条第に忍び込むには・・・
ここで、業平は高子の乳母が阿倍睦子という義理の大伯母である事を思い出しました。
睦子は母・伊都内親王の生母平子の兄・藤原貞雄の妻で、また睦子の大伯父にはあの有名な阿倍仲麻呂がいます。

小説では意中の姫を落とすのにお付きの乳母や女房に手引きして貰うのが定番です。『源氏物語』の柏木は女三宮のお付きの小侍従に頼み込んで寝所に入れて貰いました。髭黒の大将が、玉鬘を手に入れる時も女房に手引きを頼みました。杉本苑子さんの『二条后』でも業平が金品を女房に渡す場面があります。

私はでも業平がこの義理の大伯母に頼み込んだ説に賛成です。平安当時、女性の処女性はあまり重要視されなかったとか?
清和天皇が元服するまでまだ数年あります。可愛い姪・伊都内親王の息子が必死に頼んでくるので、睦子は高子への橋渡しをしたのではないでしょうか?(続く)


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