第33回 平清盛(9)
1179年11月 清盛62歳の時、ずっと嫌がらせをしてくる後白河法皇をついに京外の鳥羽殿に幽閉してしまいます。
更に翌年2月、娘徳子が産んだ数え年3歳の安徳天皇を即位させます。位を譲った20歳の若い高倉上皇は父後白河法皇と義父清盛の板挟みとなり、譲位後、清盛の顔を立てて平氏の神社厳島神社に御幸します。
しかしこれは畿内の寺社の猛烈な反感を買いました。普通は譲位後すぐは延暦寺や奈良の寺に御幸するからです。
そして4月には以仁王と源頼政が反乱を起こします。以仁王は高倉上皇の異母兄で優秀なのに平家に邪魔をされ、親王にさえもなれないでいました。頼政は息子が清盛の息子宗盛に愚弄されたのを怒りに思っていました。
この反乱はすぐに抑えられ、清盛は6月に福原に遷都します。反平氏を避けるためですが、これは効果がありませんでした。以仁王はせっせと平氏打倒の令旨を書いていました。それは伊豆にいた頼朝にも渡っていました。
頼朝は長年の囚人生活ですぐには反乱を決意しませんでしたが、「以仁王の令旨を持っていた者は処刑される」や例の文覚の亡き父の頭蓋骨だというのを見せられ挙兵します。
風雲急を告げる中、清盛は11月にまた平安京に還都します。(続く)