第100回 壇ノ浦入水と猿之助事件
※今回は特に推論が多く入っています。
『平家物語』には誇り高く、後の汚辱にまみれるくらいなら死を選ぶ方が多いです。壇ノ浦の戦いの時でも敗戦濃いのを察した二位の尼(清盛未亡人時子)が孫の幼い安徳天皇の手を引いて、「波の下にも都はございます」と言って三種の神器と共に飛びこみます。
これは今回の猿之助事件の家族会議で「次の世界でまた会おう」と言って心中を決めたのとよく似ています。
推論ですが、私は自殺を主導したのは母親の延子さんではないかと思います。溺愛する自慢の息子が起こしたとんでもない不祥事が世間に露見する。ひどいバッシングと軽蔑の眼差しに晒される。
京都の友禅図案家の娘に生まれ、日本舞踊家でもあった延子さん。歌舞伎役者の妻となり子供も優秀。ずっと勝ち組であった延子さんは天国から地獄へと落とされる様な心境になったのではないでしょうか。
卑近な例ですが、私も若い頃、最初に就職した所がうまくいかなくて辞めてしまいました。それを両親に報告すると、母はとても悲しみ「一緒に死のうか」と言い出したのです。不肖私は自慢の息子だった様です。私はやり直す気だったのでさすがにそこまでは思わなかったのですが、父が「阿呆なこと言うな!」と言ってくれて、そして再出発して現在があります。しかし、母親の愛というものは死をも厭わないと思いました。
本当に想像で申し訳ないのですが、息子が苦しみ、世間の罵りに晒されるを見るのに耐えられない延子さんが家族で自殺を言いだし、引き摺られる様に父と猿之助さんが同意した。薬は猿之助さんが用意し、まず延子さん、そして夫が服用する。本来なら段四郎さんが止められたら良かったのですが、健康的にそんな状態ではなかったのでしょう。
しかし当の猿之助さんは家族で自殺に同意はしたものの土壇場で「生きたい!」という気持ちが出てきたのではないでしょうか?それこそ心中ものでも決意した筈の女が男から刃を向けられた時、思わず顔をそむけて逃げようとする場面がありました。(結局斬られますが)
朝にマネージャーに電話をし、家の鍵を開けたままにしておいたのも気持ちが半々だったからだと思います。よく手首を切って自殺しようとする人も内心は発見されたいと気持ちがあると言います。
まだ全貌は明らかにされていません。私には更に、猿之助一家を貶めよう、香川照之さんの件もそうですが(本人の蛮行に責任があるのですが)そういう陰の動きがある様な気がしてなりません。もちろんセクハラ・パワハラをした猿之助さんにもともとの原因があるのですが。結果的にはあそこで一家心中をせずに(猿之助さんに自殺幇助や殺人罪の怖れも出て来たので)ひたすら謹慎、謝罪、賠償を続ければ乗り切れた感もありますが、もう3人ともその時、冷静ではなかったのでしょうね。
最後に、猿之助さんが生きたいという気持ちで助かったのなら、いろいろな人への罪を償い、世の中のためにー人々(特に高齢者)を喜ばせる芸をまたしてほしいなと思います。(かなり可能性は低いですが)