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第76回 建春門院新大納言(2)

可愛い長男六代を連れ去られた新大納言は半狂乱になって「私を先に殺して下さい」と叫びます。
六代の乳母が、嵯峨野の奥の高雄の神護寺に文覚和尚がいて、「高貴な若君を傍に置きたい」というのを常々言っていたのを思い出して徒歩で行きました。

神護寺へは昔、家内と行った事がありますが、整備された現代でも登るのが大変な山道です。当時はどんなであったのでしょう。
乳母が事情を言うと、やはり文覚は言います。
「助けたら、私に預けるか」
思惑はともかく今は若君の命が大切です。「仰せのままに」と乳母が言うと、「誰が捕まえたのか?」と文覚は聞き、「北条時政様」と言うと、
「はは、誰かと思えば」と文覚は笑い、早速に時政と交渉に入ります。

「20日の命を与えたまえ」と文覚が言い、時政は了承します。その間に鎌倉の頼朝に赦免状を貰おうというのです。文覚はかつて伊豆に流された時、同じく伊豆に流されていた頼朝と懇意になって、何と後白河法皇のいる福原の御所に院宣を貰いに行ったのです。
追い剥ぎにあい、命からがら院宣を頼朝に届けました。頼朝は意気に感じ、
「私が生きている間は何でも言うがよい」と言ってくれていたのです。

新大納言らは祈る日々です。平家の忠臣であった亡き斎藤実盛の子、斎藤五・斎藤六も駆け付けます。
約束の20日が過ぎても文覚は現れないので、もう12月中旬、時政一行は京を出立し、斎藤兄弟も同行します。

六代は朝に夕に、いつ斬られるのだろうかと覚悟を決めます。そして駿河まで来た時、鎌倉に生きて連れていく訳にはいかぬと、敷皮(高貴な人の処刑は敷くようです)を敷いて、いよいよ斬首です。しかし13歳の余りの美少年の斬首に皆がためらっている時、黒い袈裟の馬に乗った坊主が「しばらく~!しばらく~!」と笠を掲げて来ます。(この辺、『平家物語』はやはり劇的です!)

不審に思った時政が止めると、確かに頼朝の直筆の赦免状です。文覚が若い僧に預けたのです。
そのまま鎌倉に時政一行は入り、恐らく頼朝は六代を検分したと思います。
思えば25年前、頼朝は14歳で平家に捕まり庭に座らされ、上にいる清盛から検分されました。今や逆転し、自分が上から13歳の平家の嫡男を見ているのです。
頼朝は六代の凛とした器量を見て心配しますが、文覚の頼みですから仕方ありません。
「今度はそちはこの子を立てて謀反をするのではあるまいな」
冗談を言い合える仲でした。(拙著『平家物語誕生』に創作)

文覚は年が明けて六代を京に連れて帰ります。斉藤兄弟も一緒でした。
嵯峨野の新大納言は手を合わせて泣きます。「夢かや・・・夢かや・・・」(『平家物語』)  (続く)

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