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第81回 アメリカの対日石油禁輸

1941年7月28日、日本軍はフランス領インドシナ南部に進駐しました。
「なめているのか!」
2日前に日本人の資産凍結をしたのに効果がなかったので、憤慨したローズベルト大統領はついに最終手段で、8月1日に日本に対する石油禁輸を発表しました。
当時、日本は石油の輸入のほとんどをアメリカに頼っていたので、石油を止められてはかないません。
「さあ。これで日本はどうでるかな?」

日本からは石油を輸出してほしいという再三の交渉がきました。アメリカ側は「中国から兵を引き、満州事変以前の状態に戻すこと」が条件でした。
野村吉三郎が大使として日米交渉が始まりましたが、遅々として進ます、8月4日には更に来栖(くるす)三郎が応援として、大使に加わりましたが、状況は変わりませんでした。

日本としては絶対に飲めないアメリカの条件でした。
「日清戦争(1894~95年)からの英霊に申し訳ない!」
日本の石油備蓄は1年半でした。もしこのままアメリカが石油を輸出しないのなら、オランダ領東インド(インドネシア)の石油を狙うしかありません。当然アメリカとは戦闘状態となります。日本の首脳部は頭を抱えました。(続く)

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