第114回 ガダルカナル島の悲劇
1942年8月、日本の造ったばかりの飛行基地があるガダルカナル島に、アメリカ軍は2万の大軍をもって上陸してきました。アメリカは日本のマレー半島などの活躍を聞いていて、よく調べ、大軍を送ったのでした。
日本軍は驚き、一旦ジャングルに逃げ込みました。そして盛り返そうと日本は追撃軍を送ったものの、第一陣の約900名は待ち構えるアメリカ軍の機関銃の餌食となりました。考えもないかの様に第二陣に送られた約900名もまた同様の運命を辿りました。肉片がばらばらに散らばるばかりの惨状でした。
また同じ作戦を日本は3回目も取り、銃剣攻撃をひたすら繰り返して失敗する日本軍に対してアメリカは、「日本の指導者は馬鹿なのか」とまで思いなした。
日露戦争から日本の作戦はほとんど変わっていませんでした。しかし欧米諸国は第一次世界大戦を経験し、「近代兵器」こそが勝敗を分けると痛感していました。日本の銃剣攻撃も中国では通用しました。中国兵がすぐ逃げてくらたからです。日本は第一次世界大戦で中国の中のドイツ領植民地を攻撃したくらいで実感はありませんでした。
激しい戦いがあり、どちらも多くの死者を出しました。しかし制空権、制海権は共にアメリカ軍が握っていました。日本の輸送船はことごとく沈められました。
劣勢となった日本軍はジャングルの中に逃げ込み、1万人以上が餓死し、全体の死者は2万人を超える悲劇になったのでした。(続く)