第109回 清盛、延暦寺を敵としてしまう。
永万元(1165)年6月、二条上皇(23歳)の若き崩御によって、二代の后となっていた多子(まさるこ:26歳)はまたも未亡人となった自分の運命を思いました。
「先代の近衛帝は17歳、今回は23歳。私の夫は早死にされる事になっていたのでしょうか・・・」
今度は出家し、自分の美貌を狙って、3度目にならぬようにしなければならないと多子は思いました。後白河上皇の両性に渡る好色は有名だったので。
ただ、その時の後白河上皇は、清盛の義妹の美しい滋子に夢中でした。
二条上皇の葬儀の際、騒動が起こりました。寺が墓所の四つの門に額を打つのですが、興福寺の悪僧が延暦寺の額をわざと割り、それに怒った延暦寺が本来なら興福寺の後だったのですが、興福寺の上に新たな額を打ったのです。
争乱は続き、延暦寺は、興福寺の末寺、清水寺を焼き打ちするという暴挙に出ました。
「これが人を救うべき僧侶のすることか」
清盛たちは嘆息しました。そして二条上皇の乳母夫であった清盛は上皇と仲の良かった藤原氏の氏寺・興福寺に味方する形となり、延暦寺は後々まで平家を恨み、打倒平家で、その滅亡まで加担するのでした。(続く)