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海外で主夫をやってみた in オランダ 【性別の壁と言葉の壁】

実際に主夫をやってみたところ、主夫(というか私の場合)様々な壁が立ちふさがりました。

性別の壁

日本人が少ない町だったので、ネットを見てもなかなか情報を集める事ができません。

そこで、日本人コミュニティーからの情報がとても大切となります。

駐在員の方々は、駐在員ママさん同士で仲良くなったり、現地の人と交流のある方がママさん経由で情報を集めたりしています。

コミュニティーではママさん同士の仲がすごく良いです。(少なくとも男の私からはそう見える)

ところが、男である私が入ると、なんとなく疎外感を感じてしまいます。

皆さんとてもいい人だったので大人な対応をしてくれて、いろんな情報をくれたり、イベントなどに誘ってくれたりとしますが、向こうも戸惑っている感じはヒシヒシと伝わっており、なかなか打ち解けることができませんでした。

たとえば、学校が終わった後、誰かのお家でお子さん同士で遊ぶ事になっていた時も、「私も行っていいですか?」と言い出す事もできず、子供から「なんで一緒に遊ばへんの?」とか聞かれて
「ごめんな~この後色々用事があるねん(嘘)」としか言えなくなってしまうことも。

自分一人ならいいのですが、子供に気の毒な事をしてしまった罪悪感で、自己嫌悪に陥ることも多々ありました。

今思えば、自分自身の殻にこもっていたのかもしれません。ただ、その時はどうしようもできませんでした。公園デビューできないママさんもこんな気持ちなのかもしれません。

更にこの疎外感から妻に甘えたい気持ちがあったものの、妻は妻で外国人だらけの職場で日本人1人で奮闘しており、こちらに気を向ける余力もありません。

だれも頼れず本当に独りぼっちになった気分でした。

ちなみに、ママさんとの付き合いは1年ほど経つにつれてだいぶ打ち解けてきました。というより、私自身が「男である自分が無理に溶け込む必要はない」と割り切れるようになって自然体になったのが良かったと思います。

駐在員は入れ替わりが激しいので、新しく入ってくる人の場合、すでに(なぜか)男が混ざっている状態ということもあり、自然と対応してくれました。

日本に帰るときにはわざわざ送別会も実施してくださり、皆様には本当に感謝しかありません。

言葉の壁

オランダの公用語はオランダ語ですが、ほとんどの人が英語を話す事ができます。
なので、英語ができればほぼ問題無いのですが、私、英語が大の苦手です。
中学2年生の時に、「俺は海外に行くことなんてないから英語は必要ない」と豪語し、高校も試験科目に英語が無い特殊な学科に入り
センター試験の英語が200点満点中41点。偏差値は28という不名誉な状態です。

そもそも、曜日も月も覚えていないし、中学1年生くらいの英語力しかありませんでした。

海外住めば英語を覚えると思ったのですが、甘かった。我々がイヌの鳴き声をずっと聞いても理解できないように、何もわかっていない状態で英語のシャワーを浴びても、まったく意味が無く、聞くこと話す事ができない状態でした。

この英語力の無さを妻が判っておらず「下の子の保育園のウェイティング状態を聞いてきて」とか、「病院に連れて行って」とか指示されても結局その場てあたふたして、結局何も理解できず汗だけかいて終わる事が多々ありました。

そして、妻には「行ってきたけど何もわからず帰ってきた」と伝えて、妻は「何のために行ってきたん」っていうイライラと、私の「わからないものはわからん」という情けなさと怒りがつなる事が何度もありました。

話す事ができないのであれば、筆談できればよかったのですが、前述のとおり文法力もないので、詰み状態。オランダに住み始めて1年は苦痛でしかありませんでした。

ありがたい事に、妻の会社では英会話の費用を出してくれるということもあり、住み始めて2か月ほど経ったころから英会話の個人レッスンがスタートとなりました。

教えてくれる方は日本語が全くわからないため、すべて英語となりますが、簡単な例文から入ったり、料理や文化などの身に周りに関する話ばかりしていたので、なんとなく単語だけを切り取って会話ができるようになってきました。

最終的にはジェスチャーと単語を聞き取って何となく会話はできるようになってきました。

というより、思ってる以上に「こいつは全く英語分かってないな」と理解してレベルを合わせてくれるので、意思疎通くらいなら問題ありませんでした。

あとオランダ人からすると母国語ではないので、聞き取りやすい英語だったような気がします。

イギリスに行った時は全然英語が聞き取れなかったし、向こうも容赦なく早口で、聞きなおしてもゆっくり話してくれないし、なんやねんこいつらって思いました

ちなみに、自分的には英語頑張ったと思ったのですが、他のお母さん方は結構ペラペラでした。しかも皆さんにオランダに来てから英語を勉強した人が大半とのこと。他の国のお母さん方と交流もされており、うらやましい限りでした。

「英語が話せないと子供を守れないので一生懸命勉強した」と言っている方もいて、母強しを感じました。

結局今もまったく英語はできません。かなり退化しています。

ちなみに子供たちも英語が全く話せません。

当時、幼稚園と小学1年生だったのですが、2人とも空気を読まず英語を理解する気も聞く気もありませんでした。

日本人が1人のクラスだったのに英語で会話するつもりが全くなく、「英語で言われたから、何のことかわからんかった」と常に言ってました。

先生から英語で話されても完全に無視するので、耳が聞こえていないのではと指摘されて、病院に行ったこともありました。(当然問題なし)

ただ、友達はできて交流はしていたので、こいつらスゴいなと感心していました。

子供も親も同じで、英語に対する親和性・積極性が大きく出るなと感じた出来事でした。

結果、妻との関係が悪化

性別の壁および言葉の壁で、私の思考に変化が起こりました。

「誰からも必要とされていない」

「独りぼっち」

いままで会社員だったため、会社という共同体に所属しており、仕事で成果を出す事で存在を認められていました。そして、お金を稼ぐこと家族からの承認を無意識に得ていました。

それが無くなり、言葉が通じる人が家族しかいなくなり、大人の会話ができるのが妻だけとなりますが、妻もマイナス思考の私と話したく無いため、どんどん関係が悪くなっていきます。

さらに、妻はせっかく海外在住なので色々なところに子供を連れていきたいという思いがあり、夜な夜な旅行の計画を立てるのに忙しかったので、私に構っている暇はありませんでした。

結果、私はふさぎ込むか日々お酒を飲んで紛らわす事に。

寝室が別だったので、子供が寝静まった頃に部屋に行くと「お父ちゃんこんといて!!」と怒られることも何度もあり、それが怖くなって妻の部屋に行くのにドアのまえで「部屋に行きたいけど怖い・・・」と泣きながら30分くらいウロウロしたこともありました。

結局、勇気を出して入っても「お、おやすみ~」と一言だけ言って戻ることも。

今思い出すと滑稽ですが、かなり自分を卑下していたため、本当につらい日々が続きました。

客観的にみると昔も今も妻は全く変わっておらず元々ドライな人なのですが、私自身がかなり変わってしまったのだと思います。

結局のところ、私が自分自身の存在を認めれるようになるまでに2年くらいかかり、それまで関係が悪い状態が続いたような気がします。

今回はマイナス方向の内容でしたが、当然プラスになった事も沢山ありましたので、次回はその事を書きたいと思います。


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