中島みゆきの『やまねこ』を聴き、15年前の独り闘う自分を懐かしむ夜
私は今年30代中盤だが、この曲を初めて聞いたのは中学生の頃だった。親戚のおじさんが中島みゆきの大ファンで、CDに焼いた(懐かしい)ものを「聞いてみろ」と言われて貰ったのがきっかけだった。
かつて、中島みゆきといえば『地上の星』や『時代』程度の曲しか知らなかった私にとって、この曲は中学生の頃に聴いても衝撃的だったことを今でも覚えている。
この曲は、愛情を知らずに生まれ育った主人公が、愛することや愛されることに怯え、相手を傷つけてしまう葛藤を哀愁たっぷりに歌い上げている。
私はその後、高3の時にメロディックデスメタル(メロデス)に出会う。メロデスも同様に悲しみや怒りを哀愁たっぷりに表現している点が、『やまねこ』同様に当時の私の心に刺さったのかと思う。
以前の記事でも書いているが、高3の時はこれまで仲の良かった友人たちと違うクラスになり、いわゆるカーストの低い人たちばかりのクラスになった。
(そして、クラスの半分以上は女子。)
しかし、私は基本的にカーストに関係なく誰とでも仲良くしたいと思うタイプであり、カーストの低い人たちと楽しく過ごす私に対してこれまで仲の良かった友人が離れていき、クラスの女子たちが話しかけることもなくなった。
私は、幼稚園の頃から高2までは、特に何も考えずにごく自然体に生きていただけで、カーストの上位に所属していたようなタイプの人間だった。
しかし、高3で初めてカーストを抜け、「独り」を選んだことで様々な葛藤を感じることになった。
こちらをニヤニヤと見るかつての友人たちに対して人間不信になり、人生で初めて学校に行くことが憂鬱になった。
かつての友人と今まで通り仲良くしたい気持ちもあったが、そもそも本当に友人であったのかどうかも分からなくなり、考えすぎて夜眠れなくなる、衝動的に友人たちへの憎悪の感情が湧き上がるなど、様々な感情が入り乱れていた。
高3の時はメロデスを聴きながら通学していた。
表向きでは流行りの曲を聴いていない自分に酔いしれ、周りを威嚇しながらも、心の中では「寂しい」という叫び声を上げていたのだと思う。
その後、大学ではのびのびと過ごし、新卒で入社した会社も上司や同僚に恵まれたことで発達傾向は鳴りを潜めていたが、30代になり転職や投資詐欺の影響などで再び発達傾向が現れ、先月にはついにADHDの診断を受けた。
ADHDのような発達傾向は「ストレスを強く感じた時」に出ることを話に聞き、今思えばまさにこの高3の時がきっかけだった。
当時から15年以上経ち、今でこそなくなったが、20代の頃までは当時の記憶が夢に頻繁に出ることで、ブルーな気分になることも多かった。
歌詞の意味とは少し異なるが、『やまねこ』を聴くと当時の苦しんでいた自分を懐かしむと同時に、人生において周りの目を気にして自分を押し殺すほど馬鹿げたことはないことや、今ではこのような率直な気持ちを発信できる場があること、妻のような理解者がいることに対して喜びを感じる。
人生の主人公は自分。周りが何と言おうが、自分の思うように生きたらいい。