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木村拓也さんが亡くなって…&木村拓也さんから学べること

お久しぶりです。
ライブがあまりに無さすぎて放置してしまいました_(:3 」∠)_












ふとTwitterで目に付いたので、確認したら元巨人の木村拓也さんが亡くなって10年が経過した旨の記事を目撃しました。




https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200407-04070156-sph-base


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200407-00224377-baseballk-base



上記のURLは木村拓也さんの功績だったり、名シーンを挙げた記事です。どちらかと言うと、「記録」よりも「記憶に残る」名選手です。






1.回想

私も木村拓也さんの事は記憶に残っています。
一番よく覚えているのが「中井正広のブラックバラエティ」で阿部慎之助さんや坂本勇人さん等と共に番組に出演し、お茶の間に笑いを届けた事ですね。



野球モノマネをする企画を行っていて、当時の指揮官だった原辰徳監督の真似(グータッチ)はかなり特徴を掴んでいて似ていましたねw



そして、翌年。
捕手0人の緊急事態を経て、巨人は日本一。
木村拓也さんは引退し、コーチへ新たな一歩をあゆみ始めたその時でした。



前日から頭が痛かったそうで、当日も不調ながらも野球場へ足を運ぶも、倒れました。
救急搬送され、病気はくも膜下出血。






その後も容態は良くなることはなく、37歳という若さで亡くなりました。












NPBきってのユーティリティープレイヤーを失ったのは損失が大きいと思いました。それにあまりの急展開&急逝は多くの人が悲しんでいたし、当時高校生だった私の同級生に木村拓也さんが好きな子がいて、悲しみにくれていたのを覚えてます。。。








今は原辰徳監督が指揮官へと舞い戻り、阿部慎之助さんは二軍監督、ルーキーだった坂本勇人さんは巨人軍を引っ張るキャプテン、、、、10年の時は早いな。









2.木村拓也さんから学べること


球界屈指のユーティリティープレイヤーとして有名でしたが、その道程は険しく前途多難と言える経歴を持っている木村拓也さん。








https://web.archive.org/web/20100410074139/http://www.giants.jp/G/gnews/news_392604.html

多くを語るより、こっちで見た方が早いです。
ちゃんと説明するより本人の口から語られてるからねぇ…笑







まずは運。

9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。
(上記URL、NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容より)

「イチロー選手が選手人生を変えてくれた」と本人も語るようにイチローさんのストイックさは流石ですが、そこで腐ったままになるより


人の良いところを見て「これじゃダメだ」と気づき、努力した木村さんが結果的にプロ野球の世界に生き残れたといえる要因があります。

こういう偶然の巡り合わせも大事ですし、そこでぼーっとしてるより何かを掴もう、学ぼうと食らいつく姿勢は持っておきたいですね。


次は変化できた力。

今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。
そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。
ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。

この言葉は木村拓也さんの経歴があるからこその重みを感じます。

最初の日本ハム時代は捕手の能力を買われての入団でしたが、一軍に行ける機会がなかったため、俊足で肩が良かったため外野手への転向をしました。

すると、当時の一軍は怪我人が多かったため僅かですが一軍に行く機会ができました。


広島カープへトレードに出されましたが、ここでも転機が訪れます。
今度は内野を守ることになり、バッティングでも右打席でも左打席でも打てる「スイッチヒッター」になる取り組みも行いました。

あるシーズンでは「投手と一塁手以外の全て守備位置を守ったことがある」ことも。
本人が変化に対応していくために努力をした結果ですね。




最後に…

木村拓也さんは今でも語り継がれる伝説やファンが根強くいるのは、本人が行ってきた不断の努力と努力の方向性が間違ってなかったこと。
更に本人の粋な人柄で、実力だけでない部分でも指揮官には信頼を寄せられ、後輩にも慕われていたと私は思います。





自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。

(中略)

「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。
その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。

野球でなくても、何かにもがいてる人はこの言葉は励みになると思います。

こういうマインド重要で、自分もこのマインドがあって初めての倉庫業を務めた所では、仕事だから様々な所にぶち込まれてやらざるを得ないのもあったけど、
「これもやってみたいです」って言ってみると案外出来たりするし、生きてると面白いもんです。



最近、野村克也さんが生前に書かれた「野村克也の人間通」という本を読んでいますが、「あ、まさにこれ木村さんのこと言うてるな」と思ったことがあったので、その言葉で〆ます。

努力はムダにはならない。たしかに努力には即効性はないが、それはいつか報われる。
しかも、目指した方向でなくても、思わぬ形で報われることもある。あのときの努力が、こんな形で報われるもは思わなかったというようなことが人生では起こり得る。

つまり、努力はその人を裏切らないのだ。

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