バックトゥザフューチャーのマーティと僕の共通点は
映画「バックトゥザフューチャー」をご存知でしょうか?時は80年台後半であったと記憶しているが大ヒットした三部作のSF映画であった。主人公のマーティは年が離れた友人であるドクが発明したタイムマシンに乗って過去や未来で大騒動に巻き込まれていく様をスリリングにまたコミカルに展開されるストーリーに、当時中高生だった僕はこの作品にどっぷり引き込まれていったのである。
さて、映画の詳しいストーリーについてはぜひ見て頂きたいということは言わずもがなですが、僕はこの映画の中で幾度と出てくるシーンで強く心に残っている事がある。主人公のマーティはチキン(腰抜け)と言われると頭に血がのぼり、冷静な判断を見失ってしまう悪癖がある。ムキになったマーティはいつも
「誰にも腰抜けとは言わせない」
と応戦してしまう。僕はこのシーンを見るたびに、「あ、自分と同じだ」という親近感をいつも感じずにはいられなくなるのである。つまりマーティと僕は
挑発にのりやすい
という困った共通点がある。客観的に考えると挑発にのることで良いことなど無いというのは痛いほど分かる。歴史上これまで起こった戦争であろうが、学校内のケンカであろうが、相手方から手を出してくるように仕向けてくるのは敵の常套手段ではないか?冷静に考えれば分かる話ではあるのだがついつい感情が揺さぶられてしまう現実がある。こうなってしまうのはなぜなのか?これは自己分析を行う必要があると思った。そして客観的に分析するには僕と同じ欠点をもつマーティを引き合いに出してみるのが良いのではないかと思った次第である。
挑発にのってしまうという事を紐解いていくと、なにが大きいかというとやはり自身が抱えているそして自覚もしているコンプレックスを他人から突かれた時に発動してしまう感情ではないかと考えられる。他人にズバリ指摘されるということは認めたくない現実を否応なしに突きつけられる。大げさかもしれないが、奈落の底に突き落とされたような気持ちになってしまうのである。
そんな堕ちていきそうな自分をギリギリのところで踏みとどまらせようと自分を守ろうとする行動が挑発にのるという形で現れてしまうのではないだろうか?自分で自分を貶めることは簡単にできるくせに他人にそれをさせる事は絶対に許せない。自己顕示の固まりのような人間というところなのだろうな・・また、このようなタイプは詐欺師からみたら標的にするにはうってつけの存在になり得る。自尊心をちょっと刺激してやればまんまと罠にハマってくれるのがこのような性格なのだと思う。要注意だよね。
さて、僕もマーティも常に挑発にのってしまうループから抜け出すためには何を変えればうまくいくのであろうか・・?
僕ははずっとその事で試行錯誤していたのだが不惑とよばれる年齢を過ぎたあたりでようやく謎が解けてきたような気がする。それはありきたりな言葉かもしれないが、
ヒトはヒト、自分は自分。
この割りきりひとつなんだろうなと思うのです。多少の皮肉や見下げた言葉を浴びたとしても、はいはい、あなたはそのような考えですね。そんな考え方もあるのですねと受け流す能力は大事だなと思う。「右から左へ受け流す~♪」とムード歌謡を歌っていた芸人さんが居りましたが、他人の言葉でムッとしかけたらこの歌を想像してみる。勝ち負けの問題ではないのかもしれないが、僕にとってはここで反応したら負けなのである。受け流すことができたら勝ち、あわよくば皮肉を返すことができれば完勝?いや、余計な恨みを買われると面倒なので、ふーんと受け流すのが妥当である。相手のペースにはのらない、相手の土俵にはあがらない。挑発にのってしまうということは守りを固めた敵の城に丸腰で攻めていくようなものだ。本物の強さを知る人は戦わずして勝つ術を身に付けている人なのではなかろうか?何を言われようが自分のペースは崩さない。イメージとしては攻撃したいのをぐっと堪えて自分の陣地まで相手を引き付け、一発で仕留めるといったところであろうか。
また、挑発にのる、仕掛けられたケンカに応戦してしまうというところは男は男らしくという小さな頃に植え付けられた固定観念が根強く残っているということも大きく影響しているのではないかとも考える。売られたケンカは買う、逃げることは恥という染み付いた感情・・
いやいや、逃げるが勝ちという言葉もある。必ずしもバカ正直に立ち向かうことはないのだ。負けに見せかけて敵を泳がせておく手だってあるのだし、表面的な度胸を見せつけることだって大した意味があることではないということに僕は今更ながら気づいてきたのである。ちっぽけなプライドというのはこういう事なんだよなということ。
欠点を晒すということは愛されるべき存在としては不可欠なものなのかもしれないが、ここはひとつ大人の余裕というやつを身に付けて、挑発されてもチキン(腰ぬけ)で結構といい放ち、高みの世界から嫌みの感情は持たず、少しばかりの見下しモードでこの世を眺めてみるのも悪くないなと考えているこの頃なのであります。