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20210118_一日一問/「満足が贅沢」について。
こんばんは。
菅野秀平です。
今日は月曜日。
仕事が始まりました!!
一月ももう後半戦になってしまい、
過ぎていった時間やチャンスを惜しんでいます。
今更。
でも、これで腐ることなくどんどんパフォーマンス上げていかなければですね。
しっかり数字にヒットするアクションをしていかねばです。
*
今日もニーチェの言葉に触れていきます。
満足が贅沢
今では享楽者とか快楽主義という誤解された意味でのみ使われている。”エピキュリアン”という言葉だが、その語源となった古代ギリシャの哲学者エピキュロスは、生きていく上での快楽を追求した。
そして辿り着いた頂点が、満足というなの贅沢だった。その贅沢に必要な物は、しかし多くはなかった。すななち小さな庭、そこに植っている数本のイチジクの木。少しばかりのチーズ、3人か4人の友達。
これだけで彼は十分に贅沢に暮らすことができた。
漂泊者とその影
足を知る
自分にとっての満足とは何か。人と比較していないか。人と比較を始めると、一生満足することはできない。満足とは、自分の心が決めることだからだ。
人は常に比較されている。競争の中にある。何かを認識するさいに、比較という手法は多く使われる。
でも、自分は何が満足なのかを定めなければならない。まだ経験が浅いうちは世界が狭いから、決める必要はない。でも、味わってみなければ自分にとっての満足は定義できない。
期限を決めることだ。いつまでは自分は挑戦者であるのか、いつからが自分は確立者であるのか。定めることだ。
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◆まとめ
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