20210212_一日一問/「人間であることの宿命」について。
こんばんは。
菅野秀平です。
今日も仕事やり切った!って感じの1日でした。
あっという間に外は暗くなって、プロセスに全集中の1日でした。
朝も5時30分に起きてすんごい有意義な1日でした。
週末も楽しんでいきましょう!
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今日もニーチェの言葉に触れていきます。
人間であることの宿命
この生の時間の中で多くの体験をしたあげく、私たちは人生を短いとか長いとか、富んでいるとか貧しいとか、充実しているとか空しいとか判断している。
しかし、自分の眼がどこまでも遠くを見ることができないように、生身の体を持ったわたしたちの体験の範囲と距離は、いつも限られているのだ。耳も、全ての音を聞くことはない。手も、全てのものに触れることはできない。
それなのに、大きいだの小さいだの、硬いだの柔らかいだの、と勝手に判断をしている。さらに、他の生き物についても勝手に判断をしている。つまり最初から限界があるのに、自分たちの判断が間違っているかもしれないと言うことに気づかないでいる。これが人間であることの大小さまざまの宿命なのだ。
曙光
絶対評価を持つこと
今はまだ誰かとの比較の中で過ごしている。小さい頃から「順位」という明確な結果が出る世界で過ごしていたからだと思う。でも、満たされていないという感覚は一切ない。順位に縛られて、全てを勝ち負けに紐づけてしまう自分と、「人は人」と割り切れている自分がいる。諦めなのか、興味がないのか、全てを手に入れることはできないからこそ、すでに持っているものに感謝をしなければならないし、でも、渇望感を忘れてしまうことで停滞してしまう自分は嫌い。
諦めないで、努力して、頑張って、暑苦しく聞こえるかもしれないが、まだまだ自分は道半ばで、もっと挑戦して、行けるところまで突っ走っていきたい。
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◆まとめ
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