20210329_一日一問/「見かけに騙されない」について。
こんばんは。
菅野秀平です。
悔しい日々が続いていますねー。
ここ数ヶ月ずっと悔しい。
なんか気分も負けモードですし、日常ってこんな感じだったっけ??って思っています。
でも、この悔しさマジで跳ね返してやりたいんですよね。
ずっと耐え忍んでいるだけではなく、ちゃんとこの感じから抜け出さないと。
自分で抜け出さないとしょうもないことになってしまいます。
自分で一番わかっているのですが、自分が一番できていない。
自分に悔しいんですよね。
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今日もニーチェの言葉を
見かけに騙されない
道徳的な振る舞いをする人が、本当に道徳的であるとは限らない。
というのも、道徳に服従しているだけかもしれないからだ。自分では何も考えず、世間体のためだけに単に従っているのかもしれない。
あるいは、思い上がりからそうしているのかもしれない。無力で諦めている可能性もあるし、面倒だからあえて道徳的な振る舞いをしているのかもしれない。
つまり、道徳的な行為そのものが道徳的だと決めつけることはできないのだ。要するに道徳は、その行為だけでは本物かどうかはなかなか判断できない。
曙光
利己的な遺伝子
我々は遺伝子の入れ物に過ぎない。徳や得があるから行為をしているのではなく、自分がその方が生き残れるから、行為をするのだ。そう聞いたときに、全ての辻褄があった。
でも、そう考えてしまうと悲しい反面、どう振る舞えばいいのかもわかってくる。情なんて無い。全て自分が生き残れる可能性がある方を選択するとわかれば、準備するべきことも自ずと絞れてくる。
化かし合いは滑稽だが、情によって自己を貶めたくはない。
ちゃんと生物として、とるべき戦略を。そしてその裏をかけ。
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◆まとめ
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