20210429_GW日記DAY1

『DAY1』はアイマスのライブっぽくするために付けました。この情報いる?
 2021年のゴールデンウィークに何をしたかを書き残す。いつか振り返る、というよりは、どんなものをどうやって摂取したかを消化しておくための日記だ。ちなみに昨年はゲーム『WHITE ALBUM2』を遊んでいた。ほんとうにそれしかしていなかったと思う。その時の所感は下記に。

 noteにはてなブログのリンクを乗せたな! 法廷で会おう!
 ともあれDAY1を始める。まぁ、DAY2以降もちゃんと書くかは分からないのだけれど。

○09:00 映画『メメント』を観る

 ここ暫く映画をしっかりと観ていなかったので、特定の監督作品に絞って鑑賞することにした。クリストファー・ノーランを選んだのは本数が少なかったのと、『インセプション』やバットマン3部作を既に観ていて親しみがあったからである。でも時期的にアカデミー賞大賞を観ていっても良かったなと思うので、それはまたの機会に。大丈夫、映画は逃げない。
 さて『メメント』である。良かった。とても良かった。妻を殺された事件で外傷を負い、数分しか記憶を保てない男・レナードが、犯人に復讐を遂げるための物語は、短いシーンが途切れ途切れに、且つ時を遡るようにして示されていく。ひとつながりの映像(=観客が実際に観たもの)として、三段階の構成をしていたと思うので、それについて書く。観ていない人にも勧めたいが、今回は観たものを記録する意味合いが強いため、以下は全てネタバレである。
 一つ目、序盤は『物体的な事実』によって時系列が理解出来ることを、観客に気付かせる構造になっていた。例えばホテルのキー。部屋に置いてあった、と言われつつ女から受け取ったものだが、記憶を保てないレナードも、観客もまた、それが何であるかが分からない。勿論、女の素性についても解らない。その後に(時系列としては前に)男が滞在する部屋のものだと分かるものの、じゃあ何故それを女が持っているか、という新しい謎が出てくる。例えば男の頬の傷。白黒で映し出されるモノローグでは傷がなく、カラーの合間には傷がある。そういった物体的なもの、時系列に合わせて正しく移動・変化するものが、シーンの繋がりと、更なる空白を伝わり易く表していてくれていた。謎の回答と提示が同時に行われているようなもので、「そうか!」と分からせてもらえることが多く、その点気持ちのいい映画だった。
 二つ目、中盤からの登場人物の見え方の揺らぎ。冒頭でレナードが撃ち殺す相手であるテディは、実は味方をしていてくれるのではないか。レナードに親身となっている女・ナタリーは、実は自身のためにレナードの記憶喪失を利用していた。遡るごとに登場人物の姿が移り変わり、何が本当なのか分からなくなっていく。しかし事実は積み重なっていく。テディを撃ち殺した事実は変わらず、ナタリーは恐怖に打ち震えるレナードに一晩寄り添ってくれた。何が本当なのかと自問するのは、記憶を失い続けているレナードだけではない。序盤の、謎が分かる楽しさはとうに失せて、続きを観たいような、そうでないような気持ちにさせられてしまった。
 そして三つ目、終盤に語られる全ての顛末――時系列としては始まりと、それを受けてのレナードの行動である。確かなものだと信じていた妻との記憶は不確かで、既に復讐は終わっていた。物語は初めから終わっていた。しかし、レナードにとってはここが物語の始まり。車体ナンバーを記したメモに全てを託した彼は、車を運転しながら目を閉じる。

 自分の外に世界はあるはずだ
 たとえ忘れても きっとやることに意味がある
 目を閉じてても そこに世界はあるはずだ
 本当に世界はあるか?
 まだそこに?
 あった
 記憶は自分の確認のためなんだ
 みんなそうだ
――映画『メメント』より

 これからの自分が何を為すかも分からず、何もかもを忘れてしまうことを自覚しながら、レナードは外界に生きるこれからの自分に期待する。 

 さて、どこだっけ?
(原文:Now…where was I?)
 ――映画『メメント』より

 望んだかのような忘却と共に幕は閉じる。そして観客は思い出す。彼の思いは結実し、その結末を二度と忘れまいと、かの写真が撮られることを。終わっていた物語の始まり、始まりと同時に終わりを知る。この素晴らしい循環に気付いた途端、『メメント』という映画が、特別好きな映画になってくれた。

 今日はとにかくゲームがしたい気持ちを堪えて映画をちゃんと観てから一日を始めようという気持ちだったので、映画そのものに対して大きな期待をしていなかった。それもあってかとても満足している。感想もある程度まとまった分量になってくれた。明日以降もこの分量を保てるだろうか。まぁ、クリストファー・ノーラン作品だから、大丈夫か。

○13:00 noteを書く

 4日遅れの週報が思いの外捗った。その分、今日書くべき小説へのモチベーションが下がる。一旦休憩。

○14:30 『Hades』を遊ぶ

 今最も遊んでいるゲーム。6月にNintendo Switchでの配信が待てずに、Steam版を購入する。最近では1日の終わりに1プレイするのが習慣になってしまった。
 ローグライクゲームアクションゲームで、ギリシャ神話の冥界を舞台に、ハデスの息子ザグレウスを操って、冥界から脱出するのが目的になっている。勿論簡単にはいかず、死ぬ度に冥界で蘇るので、道中で得た宝石などでザグレウスを強化しながら、今度こそと挑み続けるのが主な流れ。
 昨日、脱出が三十回目を数えたところで地上に出て、ラスボスと対峙。まぁそうだよなぁ、とう人選と、まぁそうだよなぁという第二形態に敗北。ラスボスのモーションを覚えるために数をこなすことにした。
 今日はステージ3の途中でヘマを何度かしてしまい、こりゃ途中で死ぬかなと楽観視していたら、心持ちの影響で気楽にプレイ出来て、昨日と同じところまで行くことが出来た。武器やスキルの組み合わせは運も絡み、昨日はけっこう上手くいった(拳+吸い寄せ技+吹っ飛ばしスキル+壁衝突ダメージ補正)ので、同じことはそうないだろうと思ったが、盾を使った守りながらの戦法と、常に一定量ダメージを与えられる氷雪系の魔弾(というかビーム)の相性が良かった。氷雪系のスキルを初めて取れるようになったので、試す気持ちが強かったのだけれど、こういう意外と上手くいったな、という感覚が味わえるのはローグライクこそだと思う。
 ローグライクは『理論上最高』を目指しつつも、『選択上最高』で妥協するしかない。「このスキルの組み合わせが最強! 勝ったな!!!!」と思っていても、そのスキルを選べるとは限らない。そして、『理論上最高』以外は無理、と諦めるのは面白くない。『選択上最高』で妥協しながらも、それが意外とハマることもある。そういう期待を出来るかどうかは、ローグライクというジャンルを好むかどうかの判断基準になるのではないかと思う。あとは、繰り返しの挑戦が苦痛に変わる前に、成功体験に変わるかどうか。
 もっと語りたい気分だ。幸い、このゴールデンウィーク中に遊ぶ機会は多い。

○16:00 『トラビのウワサ』を執筆する

 今回のゴールデンウィークで、トラビのウワサは2回分くらいストックしたい。そしてアークナイツの短編を完成させる。あまり溜めておいて良くなるような話でもなく、単に書き始めたものに決着を付けておきたいだけである。今回のウワサは思ったよりも早く出来た。予てより書く内容を決めておいたからだろう。次回次々回のことは、これから考える。

○21:30 小川洋子『約束された移動』を読む

 この間に『Hades』のラスボスを倒した。が、当然これで終わるはずもなく、更なる周回への誘いでしかなく。まだ楽しいと感じているの、引き続きやっていく。
 さて小川洋子である。少し前に通話で小川洋子の話をした折、久々に読みたくなったので良さげなハードカバーの本を買った。実際良かった。良い本は見た目から良い。
 タイトルの通り、移動にまつわる六つの物語が収まっている。物語の中で現された移動は、どこかに辿り着くためのものではなく、ある点からある点へと移りゆくことそのものを、見つめていたように思う。物語としては『巨人の接待』、文章としては『黒子羊はどこへ』が好きだった。『巨人の接待』の冒頭、名前と見た目に差異をもたらすことで登場までのイメージをわざと大きく見せる書きぶりを自然とやってのけてくれてすごく嬉しかった。そりゃ巨人という名前を見れば誰もが巨大な人をイメージするだろう。

 初日というのは何でも大概上手くいくというか、上手くいくための精神的・肉体的条件が整っているもので、肝心なのはそれらが整わなくなりがちな後半である。ともあれ、今日一日がこうして文字になったことには安堵している。成長したいとは思わないけれど、想像した通りに過ごした達成感を得られるゴールデンウィークにしたい。明日は仕事だけれど。