消えたMaison book girlへの私信

 Maison book girlのことをどれくらい好きだったかというと、ライブがあることを直前に知る程度でしかなかった。一応SNSには登録していたし、メンバーのツイッターでマスクにアイスを付けてきゃっきゃしている様を見て、「田中琴葉でこれやってほしい!!!!!!!!!!!!」と思ったりしていた。
 それでも終わってしまった。Maison book girlは削除され、ホームページは失われ、FC2ブログによるBDの告知だけが残り……いやAmazonの特番は残っているな。そのうち消えるかもしれんが。
 こんなふうに少々くだけた調子で書いているものの、『Solitude HOTEL』のラストがもたらした断絶――突如舞台に示された空白は永遠になってしまい、体のどこかをねじ切られたような感覚でいる。そこにあったものがもうない。消えてしまった虚構には何の匂いも感触もない。削除の報せを聞いて、どこか冗談だと思いインターネットを彷徨った日曜日と、実は本当だったのではと思いライブを見ようと思った月曜日。アイドルはもういない。
 惜しむくらいに、素晴らしいライブだった。一度きりの仕掛けばかりではない、これまでの演出の集大成のような光陰の使い方、歌やダンスには迷いや淀みが失せ、現実と虚構を行き来するような展開には目を奪われた。衣装が変わってからのステージを見ながら、昔遊んでいたスーパーマリオワールドを思い出した。今からスーパーマリオワールドの話をするぞ! 攻略本でしか見ていないのだけれど、あのゲームには裏面というのがあって、かわいげのあったキャラクターたちがどこかおどろおどろしいものになり、子ども心を芯から振るわせてくれたものだった。それを思い出した。何か、今まで見ていたものとはまるで違うような、どこかに本当と呼べるものがあるんじゃないかと思ってしまうような、そんなステージだった。
 ステージを見ながら思いだしたことがある。『Fiction』という楽曲に助けられたことだ。

 当時のことを記したnoteのタイトルも、Maison book girlの楽曲を引いたものになっている。
 これは、『アイドルマスターミリオンライブ!』の二次創作同人誌『falling dawn』を投稿した翌日の日記である。この物語の中には、『falling dawn』という架空の楽曲が出てくる。歌詞こそ小説に載せたものの、メロディはこの宇宙で私しか知らない。この曲を歌うアイドル三人組(トライスタービジョン、と呼んでいる)を表紙に描いていただく際の資料に、『Fiction』のような楽曲を歌っていると書いた。その時にはまだ、何のメロディも歌詞もなかったからである。
 更に言えば、表紙の構図――三人がそれぞれの拳を重ね合わせるのは、『Fiction』の振り付けに近しいものがある。取りも直さず、ブクガのライブを観た際に、こんなふうに踊っていてほしいと思ったからである。そういう私の空想から書き連ねた言葉を、見事に汲んで頂いた表紙は是非とも見ていただきたい。

 最高の表紙だ…………………………。
 実のところ、私がアイドルを見る視線の先には、彼女たちを据えていることが多い。冒頭でも田中琴葉(表紙中央のすこぶるかわいいアイドル)の姿を幻視したように、現実のアイドルを通して、二次元のアイドルの造形をより立体的にしたいという思いが、少々ある。握手会にも参加したし、アイドルのライブにも赴いた。勿論、アイドル自体が提供してくれるものへの期待がなければ行動は出来なかったし、実際に受け取ったものが大きすぎて、未だに握手会は思い返すだけで感慨深くなってちょっと胸が苦しい。娘。の話である。
 ブクガの握手会、ちょっと行きたかったな。済んでいる場所からは遠くて遠くて、近い友人たちが羨ましくもあった。こういう話をしたかった。ブクガのお陰で、好きなアイドルの小説が書けました、と言ってみたかった。和田輪さんに言ってみたかった。聞いてくれそうだと思った。それに、眼鏡を掛けたままステージに立ってくれるのが、ほんとうに好きだった。ありがとうと伝えたかった。それが叶わないところにアイドルが行ってしまったことを、寂しくも思っているし、嬉しくも思っている。ピリオドが付かないまま終わるものの方が、きっと多いから。
 まぁ、それでも、せめてさよならのあいさつはしてほしかったとも、おもっているのだけれど。

 書いていたら、とある言葉を思い出した。いつか読んだ同人誌のあとがきだ。そのことばを読み直そうと思って、当該の本を見つけたものの、そこにはその言葉も、それどころかあとがきもなくて、途方に暮れた。その結果、夜の十一時から一時まで同人誌の棚をひっくり返し、あらゆる物語を結末から開き、すぐに閉じてを繰り返し、一度諦めて布団に入り、その中でインターネットへと問い合わせ、しかし何も返らず、しかしもしかし閃きを得て、落としたばかりのパソコンを叩き起こし、ストレージを漁り、答えを見つけた。当該の同人誌の電子版に、あとがきが収録されていたのだ。
 そこにはこういうことが書かれている。言葉を正しく引かない理由については記さない。そうするべき時もある。終わってしまった物語にも続きがあるということ。物語が或る時間を区切ってしまっても、先にも後にも時間の流れは絶えず存在すること。
 日々は続くと思う。ライブを見届けたファンにも、ライブを追えたアイドルにも。
 もう一つ、思い出したことがある。先日観た別のアイドルのライブだ。名前を、『THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 7thLIVE Q@MP FLYER!!! Reburn』という。そのライブの中で、田中琴葉(CV;種田梨沙)/島原エレナ(CV:角元明日香)/所恵美(CV;藤井ゆきよ)の三者による『カワラナイモノ』が披露された。この三人を一つのユニット――トライスタービジョンというユニットとして捉えて、数年の間、小説を書いてきた。数年の間、いつかライブで歌ってくれないものかと、待ち望んでいた。その答えとして宛がわれた歌は、卒業という別れを契機とした思い出の振り返りと、これからの日々でも育んできたものは変わらないと、誓い合う歌である。

出会えた奇跡に、ありがとう
ずっと大人になっても変わらない
ずっと大人になっても一緒にいられますように
永遠だよ
――『カワラナイモノ』より

 永遠はアイドルの歌の中にあるらしい。一方、終わりを迎えたアイドルは、永遠の空白をステージの上に残していった。

 Maison book girlが削除されたこと。
 誰にとっても日々は続いていくこと。
 アイドルが『カワラナイモノ』を歌うこと。
 これらがひとつながりになる感覚は、自分だけのものだと思う。書いたら伝わるかもしれないと思ったけれど、どうだろうか。伝わるだろうか、伝わっただろうか。次元は違うけれど、全部アイドルにまつわることなのだ。アイドルから始まり、アイドルへと続いていく。終わりは来るのか。まだ分からない。ただ、前に進んでいるとは思っている。あの頃のように同人誌を語り合う場は減り、物語を書く気力も減り、それでもそれでもと言い聞かせながらどうにかこうにか文字を打っている。辿り着きたいと思っている。
 それだけは確かだ。

 殆どが私信であるものの、Maison book girlへの感謝を綴るには、どうしても自分のことを言葉にしておきたかった。最後にもう一度、記しておく。

 Maison book girlが聴かせてくれたもの。
 Maison book girlが繋いでくれたもの。
 Maison book girlが舞台にいたこと。
 全部、忘れない内は覚えています。
 いつか、こんなアイドルがいたんだと、誰かに振り返る日が来ることを願います。ありがとうございました。