20210503_GW日記DAY4

 10時起床のスタート。8時起床の正しい生活習慣は明日までお休み。

○11:00 ファッション誌の切り抜きを作る

 4月から雑誌『GISELe』と『Vivi』を購読して、良いと思ったファッションを切り抜いて保管している。元々不定期にやっていたけれど、一念発起して定期的にやってみることにした。ついでに『優駿』も購読していこうかと思っている。
 雑誌としては『GISELe』の方が好みなのだけれど、あくまでも好きなアイドルの――10代アイドルのファッションの参考にしたいので、『Vivi』も選んでいる。成果が出るかは分からない。ともあれ良いファッションを見るのは楽しい。
 一冊切り抜きするまでに大体一時間。今日は少し早く終わったので、小川洋子の『約束された移動』の良かった文章を書き写した。こうやって好きなものを積み重ねると何になるのか。分からないが、楽しいのでヨシ。

○13:30 映画『アイアンマン』を観る

 昨晩、久方ぶりに友だちと通話をしたら、アベンジャーズシリーズを履修したいという話になったので、一念発起一気見することにした。クリストファー・ノーランが草葉の陰で泣いているかもしれないが、面白いことが確約されている作品たちなので、いつ観ても良いだろう。友人と何かをするのは、機会を逃すとなかなか次というものに恵まれない。30作品以上を駆け抜けることが果たして上手くいくかは分からないけれど、何だって始めなければ終われない。
 アベンジャーズシリーズは飛び飛びで観ているのだけれど、どれも子細を覚えているわけではない。『アイアンマン』も何回か観ている気がする。テクノロジーの先端を行く映画に折り畳み携帯が出てきてとても味わい深かった。『2001年宇宙の旅』だったか、未来を描こうとしながらも、それはあくまでも当時の技術を基準にしたものでしかなく、でっかちな電話が出てきて笑ってしまったことがある。あらゆる技術は今の地続きでしかないことに少し安堵する。では諸悪の根源とも言えるリアクター技術はどこから来ているのか。あれはファンタジーなので……。
 本編自体はまぁ見慣れたもので、こういう映画は友人との会話を挟みながら観るに限るなぁと改めて思う。じっと真面目に観るものはない。昔は友人の家で数多と映画を観たことが懐かしい。顔を合わせないこと以外は大して変わってないけれど、どうしても寂しくなってしまう。
 本編の話。トニー・スタークの業と贖罪というのは、多分エンドゲームまで続くテーマではないかと思う。どれだけ心を入れ替えても彼を中心に兵器は産まれ続けるし、それによる被害もまた生じ続ける。守ろうとした手で握り潰してしまう、と歌ったのはスキマスイッチだったか。アベンジャーズシリーズってトニー・スタークに対してどれだけ気持ちを向けられるか、で評価が決まってくると思うんだけども、その点でいくと自分は……あんまり好きになれていない。まぁ、作品の数はあるので、そのうち思いが変わるかもしれない。

○16:30 映画『インクレディブル・ハルク』を観る

『アイアンマン』よりは情が湧く。にしても突飛な力を内輪で取り合うという構図は完全に一緒なので、気楽に観てしまった。友人はコーラとポップコーンを買って楽しんでいた。全然関係ない話だけれど、最近炭酸水の音を聴くと脳が『おしごとねいろ ~バーテンダー編~』を想起してしまうのだけれど、この症状を診れるのって何科になるのか分かる???????? 

 このリンクよりも大事な情報は俺のnoteに書いてない。
 閑話休題。調べてみたら2年前に観ていた。展開は大体覚えていた(し、構図が『アイアンマン』と大体同じだった)ので、ゲームをしながら喋りながら観ていた。『エンドゲーム』辺りからは真面目に観たい。

○21:00 映画『アイアンマン2』を観る

 無印と比べるとけっこう良かった。悪役二人がそれぞれトニー・スタークの類型であり、商人であるハマーは彼のような話術や科学の才能がなく、科学者であるイワンには才能を発揮する機会に恵まれなかった。そのどちらもを持ち合わせており、更には周囲の仲間にも恵まれたからこそ、トニー・スタークは成功し、再起を遂げ、皆にとってのヒーローとなれた。それは一種の不条理とも取れるとは思うけれども。依然としてトニー・スタークへの印象が良くならない……彼とデッドプールの何が違うのかを教えてほしい。

○01:00 ラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴く

 二年ほど聴いているけれど、初めて生放送で聴く。放送中に投票出来る企画に参加してみたかったのである。
 ラジオとの付き合い自体は長い。多分前にnoteで書いたが、記事を思い出せないし、夜は長いので書く。
『SCHOOL OF LOCK!』という10代向けのラジオが好きだった。邦楽ロックの曲をたくさん教えてもらった。初めてオンエアされる曲や、地元のCDショップになかった曲を、カセットテープに録音したこともあった。夜十一時過ぎ、隣の部屋で寝静まっている家族のために、スタンドのライトを小さく灯して聴いていた夜のことを、ようやく忘れつつある。あの頃、位置とアンテナによって受信できる音質が変わることを経験できて良かったと思う。当時は面倒でしかなかったけれど。折りたたみ式の携帯で掲示板に書き込もうとしたら、上手く出来なくて落ち込んだこともあった。ちょうど閃光ライオットという10代のバンドマンを集わせ競わせる企画があって、そこで優勝したGalileo Galileiが華々しくデビューしたのも懐かしい。解散する直前の、どこか後ろ暗い曲は今でも聴く。こうして思い出を掘り出して過ごす夜は心地良い。良すぎるので、ここいらで止める。
 ラジオという媒体は、ある時までは電波に乗せてもすぐに消えてしまう、一過性のある情報を伝えられる媒体だったと思う。それが今では書き起こしした文字を記録出来る媒体が広く伝わってしまったことで、性質が変わってしまっている。テレビも似たようなものかと思うけれど、掛かる人員や費用、そして視聴者の人数からすれば、なかなか有耶無耶に出来ない媒体だと思う。
 有耶無耶に出来たラジオという媒体。正直自分が聴き始めた頃から、それは過去の話になってしまったので、想像を語っている。『深夜の馬鹿力』を聴くにつれ、そういう有耶無耶にするべきような、有り体に言えば内緒話、悪く言えば悪口が語られることはままある。先月はスタッフとの間に起きた事件についての悩みを吐露し、『どうあれラジオで笑いに変わるのであれば、それを許す』という話をしていた。
 それがインターネット上でどう語られたは知らない。個人的には、そういう悪口で笑いを取るということを糾弾できるほど聖人ではないし、かといって仕事でのトラブルが別の場で語られるのは自分だったら嫌だと思うし、それでも面白い話に声を上げて笑ってしまうのも事実だしと、まぁ様々である。明確で明瞭なスタンスにしなくていいと思っている。
 本編の話。一時台は今遊んでいるゲームの話に終始していた。聞いていて一番安心して楽しめる。二時台は念願だったカルタコーナーの投票。radikoでリアルタイムに聞ける放送局では馬鹿力を放送していなかったので、三分遅れで聞いているので、間に合ったかどうか分からない。今回は『秘密の愚問カルタ(か行)』vs『令和プロ野球アップデートカルタ(あ行)』の対決だったけれど、圧倒的に前者が面白かった。ケミスとリーでたらふく笑った。
 来週以降はまたタイムフリーで聴く。ラジオと共にゲームを遊ぶことがとても心地いいので、好きな番組は末永く続いてほしいものである。

 深夜三時、丑三つ時は三時ではなく二時から二時半までらしい。もうじき明るくなるのだろう。それを待つことなく眠りにつく。この時間まで起きていようと思ったのはいつ以来か。十年前、学校の文化祭で刊行する同人誌に掲載する物語のために、徹夜をしたことがあった。東京タワーが出てくる話で、ちょうど、東京五輪の開催が決まった日の夜だった。
 同じ部屋で過ごして、十年経った。想像だにしない今を生きている。嬉しくも、悲しくも、生きている。