見出し画像

対話について思うこと⑤

はじめに
 これまでの①から④までで、対話の前提や条件としての、対等な関係、安全な場所、違いを受け入れる、に関することと、対話がどのようなものかについてのイメージを書いてみました。今回はこれらを書きながら考えた、対話で起きていることに関する仮説をあげてみたいと思います。

対話で何が起きているのかの仮説
1. 言葉は過去・現在・未来という時制を区別し、継続や完了といった時相が時間とどのように関わっているかを示している。私たちが言葉を使う以上、こうした言葉の持っているルールや構造に従って思考をしていると考えられるので、対話が成立する前提や条件にも影響しているといえるかもしれない。

2. 話し言葉と書き言葉の違いは、話すことと書くことにあるのではなく、音節によって区切られた音声と線よって書かれた文字によるイメージの違いといえるかもしれない。対面による対話は主に音声によるイメージを介したもので、手紙などによる対話は文字によるイメージを介したものと考えられる。

3. 言葉にはその言葉を使う人の立場や理解が含まれ、その人の置かれた背景や関係性が隠れている。立場が変われば理解も変わり、背景が変われば関係性も変わる。言葉はある視点から切り取られた部分であり、言葉を交わすことはそれらを交錯させることで、対話は複数の思考の過程なのかもしれない。

4. 対話をすることは立場の違いを受け入れることであり、対話をする前と後で自分自身が変わってしまうことを受け入れることでもあると考えられる。それは同一性ではなく、差異や未決定な予兆に耳を傾け、未だ語られていないことに半歩踏み出しつつも、分かってしまう手間に留まり続けることかもしれない。

5. 対話には二重の境界があるのかもしれない。ひとつは現実の面前で動いている領域と、潜在的に動いている領域との境界があると考えられる。もうひとつは潜在的に動いていて現実化する可能性の認識可能な領域と、潜在的に動いているか未だ認識不可能な領域との境界という二重の境界があるのではと考えられる。

おわりに
 今回は、対話で起きていることについての仮説をあげてみました。これまでの①から④を書きながら考えていたことで、対話における言葉のルールと構造、立場の違いについての理解、差異や未決定なものへの姿勢、に関することになります。対話は、生身の人間が相対しながら行われるのもあれば、手紙や往復書簡のやりとりとして行われるものがあります。そこには、音声と文字というイメージの違いがあることは書きましたが、時間の流れ方の違いもあると考えれます。対話の時間は、人間の中に流れる時間のように、様々な時間のスケールがあるのかもしれません。それは、ひとつの論文で行われる論証が、小さなパラグラフの積み重ねによってなされるように、対話に流れる時間の中にも様々や時間のスケールがあると考えられることになります。

いいなと思ったら応援しよう!