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ミャンマー出身システムエンジニアが語る「目標達成への執着心が世界を変える」

こんにちは、システムアイ広報担当の白井雪乃です!

我がシステムアイの代表、葛川さんへのインタビューから始まりました、システムアイで活躍する社員へのインタビュー。

前回のインタビューでは、自由に働ける環境づくりを追求する背景や、エンジニアへの思いなどを通して、システムアイ代表葛川さんの熱い思いが垣間見えていたら嬉しいです。

今回は、システムアイでシステムエンジニアとして活躍する、ミャンマー出身のティンザーさんにインタビューを行いました。

ティンザーさんは、プログラミングにかける思いが本当に熱い方です。クライアントの自社サーバーからクラウドへの切り替えを推進したいという想いから、誰に言われるでもなく、AWSを自らで学びはじめました。

とにかく、自らの時間を惜しみなくプログラミングの勉強に投資しています。忙しい中でも、毎日1時間の勉強時間を確保しているというから驚きです!

将来独立するという夢の元、常に新しい技術を絶やさず学び続ける姿勢はもはや、「プログラミングヲタク」です。

《インタビュー対象者》
株式会社システムアイ
システムエンジニア ティンザーさん

ミャンマーの大学、大学院を卒業後、日本企業のミャンマー支社でシステムエンジニアとしてのキャリアをスタート。その後、日本に来日してシステムアイの社員となった今も、日々プログラミングの勉強を欠かさない。将来独立すると言い切っており、仕事の最後までやり切る力は半端なく、お客様からの信頼も厚い。ふらっと出かける買い物が息抜き方法。

Golden Rockというミャンマーの有名なパゴダ

全く興味がなかったシステムエンジニアという仕事

私は、ミャンマーの大学・大学院を卒業しました。卒業後は、日本企業のミャンマー支社でシステムエンジニアとして働いていました。

正直、当時の私は、特にシステムエンジニアに興味はありませんでした。なので、システムエンジニアになるために学校を選んだわけでもありませんでした。

私が、“システムエンジニアって面白いかもしれない!”と思ったのは、大学1年生の頃です。プログラミングを勉強する授業に参加をしたことが、きっかけでした。

その時、初めてプログラミングに触れたんです。そこで、コーティングは意味があってやっている、一つのシステムを一から構築することができるといった部分に、面白さを感じました。

このことがきっかけになり、システムエンジニアのキャリアを決意しました。

私が最初に作ったのは、大学院の研究テーマであった、商品のレビューをまとめて統計を出せるデータマイニングシステムです。こから、日本企業のミャンマー支社でシステムエンジニアとして働き始めることに。

そして、就職活動の結果日本に来日、日本でシステムエンジニアとして働き始めて今に至ります。

私が通った大学にあるPadaukという花が咲いてる木

国境を跨いで来日する夢を抱いた大学時代

実は、日本で働きたいという夢は、システムエンジニアを目指し始める前から、持っていました。

きっかけは、大学生の頃に、ミャンマーの大学生として日本に行った時のことでした。そこで日本人と交流する機会があったんです。

その時、日本人が持つ人に対しての優しさや暖かさ、街の雰囲気、日本の文化が、すごく素敵だと思ったんです。「いつか日本で働いてみたい!」と思うようになりました。

これは個人的な解釈ですが、私が日本が好きだと思えるのは、日本人らしさである、ルールを守るところや人に迷惑をかけないという部分が、私の考えに合っているからだと思っています。

ですので、日本以外の海外で、働くということは考えていませんでした。日本に初めて来たときから、日本がすごく好きだと感じていて、日本がいいと思っていました。

実際に住んでからも、日本はすごく住みやすいし、人に迷惑はかけないという気持ちがある日本人の優しさに救われたことが何度もあります。

ヤンゴンの事務局で行われた写真のイベント

自分らしくいる=憧れの人という概念を持たない

私に、憧れの人はいませんね。この人みたいになりたいとか、この人のような生き方をしたいという“憧れの人”という考えがそもそも私にはないんです。

この話をすると、なんで?と結構な割合で驚かれますが。(笑)ものすごく優秀な人でも、そうでない人でも、みんな同じ人間だと思ってるんです。

つまり、どれだけ優秀でも、そうでなくても、結局は、みんな同じ人間であることに変わりはないんです。“私は私だ”と思っています。

例えば、「ミャンマーから日本に来て働くなんて凄いね、優秀だね」と言われたこともあります。

でも、私はミャンマーから日本に来日して働いているということに対して、自分を優秀だとは思っていません。

自分のやりたいことをまっすぐやっていたり、目標に向かって頑張っているだけですから。毎日、何かに対して真剣に頑張っていれば、どんな人だって優秀な人になれると思っています。

このように強く信念を持って頑張れたのは、母の存在が大きいです。私の母は、厳しい人です。

でも、何があっても私を信じてくれて、どんな時でも私の夢や目標を否定せずに背中をおしてくれました。

一度決めたことはやりたいという私の頑固な性格が、母をそうさせたのかもしれませんが。(笑)

頑固な性格で思い出すのは、学生時代には、母に心配だからと反対されていた旅行にも行くと決めたら、どうしても行きたい時があって。

考えた結果、友人と旅行の準備をこっそりして、あとは行くだけの状態にしてから、母に行ってくると伝えたこともありました。

なので、もしかすると、母が何も言えない状況を作ったのは私かもしれませんね。(笑)

日本に来日して働くことが決まった時も、日本の企業の合格通知をもらってから、この日に日本に行くと全てを準備した状態で、母に伝えました。

私は、一度決めたことは、とにかく絶対にやり通したい性格なんです。それは、昔から変わっていませんね。

今井浜海岸

過程こそが全て、結果は気にしないというマインド

私は、学生時代の頃から一度目指すべきところが決まったら、とにかくそこに向かって頑張ります。目標のために、出来ることを自分なりに見つけ出し、目標に向かって頑張ってやってみる!というタイプでした。

大学時代も、授業の中で何か分からないことがあったときは、その場で積極的に質問をして、すぐに解決するようにしていました。分からないことを分からないままにしない。これは、学生時代から現在まで徹底してやっています。

目標に向かってとにかく突き進む、頑張って取り組むところは、今も変わっていません。例えば、自分で「毎日プログラミングの勉強を1時間やる!」と決めたら、何があってもやるようにしています。

日本でシステムエンジニアとして働きたいという目標を叶えると決めた時も同じです。語学の勉強やプログラミングの勉強など、自分が出来ることに全力で取り組んできました。その結果、今があります。

もし、失敗して思うような結果がでなかったとしても、それはそれでいいと思っているんです。目標を達成するために本気で頑張ってやる過程が大切だと今も思っているんです。

だからこそ、結果が出なかった時も、その現実を受け止められるぐらい、自分なりに最後までやり切ることが大切だと思っています。

鎌倉行った時の思い出

“今”しか見えないくらい辛かった自分を変えたのも自分

今まで自分がやりたいことを信じて貫いてきた私ですが、日本でシステムエンジニアとして働くために来日してすぐの頃は、とても苦しかった思い出があります。

正直、来日してすぐの頃は、日本語もままならない状態でした。そのため、意思疎通がまだまだ難しく感じていました。さらに日本の文化に慣れないなかでの長時間勤務。なんで私はこんなに辛い仕事を日本でしているの?と思ったことがありました。

その時は、ミャンマーに戻りたいと、泣いていましたね。でも、そこで簡単に諦めることはありませんでした。一度冷静になって考えました。

「なぜ、日本に私はいるの?」「なぜ、日本でシステムエンジニアとして働いているの?」と自分に問い尋ねることを毎晩何度もやりました。

そうしているうちに、今日本でシステムエンジニアとして働いているのは、「私がやりたかったこと」「目指していたこと」だと改めて気付くことができました。

辛くて苦しい時に、“今”しか見えなかった自分を変えられたのは、結局は自分自身でした。

「ここでミャンマーに戻ったら、今まで自分を信じて学んできた時間が勿体無い」と気付いた時に、「大丈夫、諦めないで、もっと頑張ろう」と繰り返し自分に伝えました。

そして、辛い時期を乗り越えることができたんです。自分にとってこの先、日本で働いていく大きな自信にもなりました。

猫カフェ

システムアイに入社した理由

システムアイは、自由な雰囲気が良かったんです。

昔の会社としてのあるべき姿にとらわれず、フレックスタイムを取り入れていたり、服装に関しても自由です。

プログラミングの新たな技術を積極的に取り入れているところも、今までの形に囚われずに仕事を楽しんでいる印象を受けました。とても働きやすそうだなと思いました。

自由にプログラミングの技術を学んでいるので、実際にシステムアイに入社してから、これから肝になると考えていた、クラウドテクノロジーを初めて身に付けることもできました。

正直、ミャンマーから日本に来た外国人として、不安に思っていたことがありました。日本にきて日本語が堪能でないことで起こるイジメや差別です。

でも、そんな不安は一気に払拭されました。システムアイの社員の皆さんは、分からないことがあったらすぐに教えてくれたり、サポートしてくれます。

とても親切にしてくれるので、安心して仕事をすることができています。

システムアイに入社して、プロジェクトのリーダーになった時は、リードする経験がなかったことや、プロジェクトメンバーと良い関係を築いていけるかという不安が最初はありました。正直、悩むことがたくさんありました。

でも、プロジェクトを終えるまでは頑張ってやってみようと、自分の中で決めて取り組んでいました。

そんな時も、システムアイの社員の皆さんや上司が様々な面でサポートしてくれました。

スケジュールも厳しい中で、初めてリーダーとしてやったプロジェクトはとても不安でしたが、自分を含めた5人のプロジェクトメンバーと協力しながら取り組むことができました。

リーダーとしても、自分にも余裕がなかったので、メンバーの管理、メンバーからの質問をもらった時は大変でしたが、その時は、しっかり優先度を考えて仕事をしながら解決していきました。

悩んでいると、上司は「ティンザーさんなら出来ます」と言ってくれました。その言葉はすごく心強かったですね。それなら!と意気込んで頑張ることができました。

悩みながらも、最終的には、期間通りにプログラミングをリリースできたので、本当に嬉しかったですし、達成感にも繋がりました。

今こうやって、システムアイの優しい社員の皆さんと一緒に、自分の好きなシステムエンジニアとして仕事ができていることが本当に嬉しいです。

ミャンマーのシステムエンジニアの希望に


私には、1つ夢があります。それは、ミャンマーのエンジニアと日本の架け橋になることです。

実は、ミャンマーでも、私のように日本で働きたいというシステムエンジニアがたくさんいます。

いつかは、そういった人達と日本の企業をつなげられるような、ミャンマーと日本の架け橋になれるような会社を作りたいと思っています。

今のところは、ミャンマーに拠点を作って、日本企業のシステムエンジニアが関わる仕事を受託して、ミャンマーで完結させる。そんな会社を作りたいなと思っています

ミャンマーに拠点を作る理由は、ミャンマーの人たちは家族が大好きだからです。

日本で働きたい気持ちはあるけれど、家族と離れて日本で働くのは嫌だな・・そうと思っているミャンマーの人も多いんです。そういった人たちのチャンスを、今日本で働いている私が作れたらと思っています。

そのためにも、私個人としては、技術的にもっとスケールアップし、日本語ももっと上達したいと思っています。

将来の夢である会社を立ち上げるためにも、日本の法律や規則も、もっと理解していきたいと思っています。

技術面においても、これまでは自社で自前のサーバーを使っている人が多かったのですが、今の時代はクラウドサーバーを使っていく時代になっていると思っています。

ですので、そういったところの知見も増やしたいですね。

そのために今、世界の女性のシステムエンジニアを対象としたAWSが学べるグループに入って勉強しています。

おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。いかがでしたか?

システムエンジニアの自由裁量において、大きく責任と覚悟が求められるシステムアイという会社は、プログラミングを学び続け成長を止めないティンザーさんのような社員がたくさんいます。

今回のティンザーさんのインタビューを読んでいただくと、プログラミングを極めるヲタク気質な社員がいる面白い会社だということが伝わったのかなと思っています。

今後も、システムアイ社員のこれまでにフォーカスを当てたインタビュー記事を更新していきます。システムアイのプログラミング愛溢れる社員のお話をぜひ楽しみにしていてください。

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