私の家には蟹がある。

私の家には蟹がある。
ふるさと納税はいつも蟹と決めている。
タラバ蟹にするかズワイ蟹にするか半年ほど熟考を重ね、今年はズワイで行こう!そう決めて更にそこからどの蟹にするか、検討に検討を重ね・・

蟹が届いた。

蟹、素晴らしい美しさ・・。刺身でもイケるとのことだったが、蟹すきと決めてある。もう何も考える必要はないのだ。
しかしタイミングがつかめない、いつこの蟹を食すのか?
いつ届くか分からなかったから決めていなかった・・。私の浅慮が蟹と私の距離を遠ざけた。
あんなに待っていたのに!!
しかし、日常の中に蟹は忍び込んできた。
朝、出勤するとき。あぁ家に蟹があるな。
仕事で嫌な事があった時も、私の家には蟹がある。と思えばこんなことでへこたれてはいられない。
買い物の途中に、今日こそ蟹か?蟹を視野に入れた買い物客は私ぐらいなものだと、どこか誇らしい気持ちにもなる。
知らず、蟹は私を待つ嫁のようなポジションに納まっていたのだ。
ふと蟹の具合はどうか?と冷蔵庫から取り出し蟹を見る。出会った頃同じ赤く美しい身、食べやすくカットされていて腹が鳴る。
それはまるで、別れの合図だったかのように唐突に・・

明日、蟹を食べよう。

こんな生活、長くは続かない。
蟹が冷蔵庫を圧迫して、冷蔵庫の中には蟹しか入れられないのだ。冷蔵庫の中、まるで王様のように幅を利かせている。
そのせいで私の家の冷蔵庫にはヤクルトしか入らない。
蟹とヤクルトのシェアハウス、いやシェアクラブ?などとつまらないことを考えている場合じゃない。
そうと決まれば、今夜こそ


蟹すきだ。

ぐつぐつと煮立つ鍋。
赤い殻に包まれた身が私を誘っているようだ。
因みに、私は大量の蟹は絶対に一人で食べると決めている。
一対一で蟹と向き合うのだ。さぁ、どうだ?今年の蟹は・・。

「うん。美味い」

美味い、美味いんだが・・・何だこの喪失感は。
食べてしまった。
なんでだろう。
蟹も調理方法も、間違っちゃいない。美味しかったのに・・・。
食事を終えた時、私は満腹感よりもっと深い喪失感に襲われていた。
シンクには蟹の殻。たった数時間前まではぷりぷりの身が詰まっていた。
冷蔵庫のヤクルトもどこか寂し気だ。

私の家にはもう蟹がない。

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