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インドネシアへの想い④夫編
今回は、私が勤務していたジャカルタ事務所のスタッフについて書こうと思います。
私が駐在をスタートした2003年当時は、インドネシア人スタッフが5名、現地採用の日本人スタッフが1名、私を含めてわずか7名の事務所でした。
現地採用の日本人であるK池さんは、私より歳上の48歳で、ジャカルタ在住10年のベテラン。インドネシア語はもちろん英語もネイティブ並みで、とにかく頼りになる社員でした。
頼りになるのはそれだけではありません。体がすこぶる大きく、風貌がきわめてイカついのです。治安の悪い夜のジャカルタも、彼と一緒に歩けば安心安全でした。
坊主頭で、サングラスをかけたその姿は、クラッシャー・バンバン・ビガロ(プロレスラー)に、
『仁義なき戦い』の頃の松方弘樹テイストをトッピングしたような風貌なのです。
そんなK池さんを、私はとても信頼しつつも、彼との間にトラブルだけは起こしてはなるまいと気を遣っていました。
ある日のことです。K池さんと私の2人で、一番のお得意様であるA社長を接待することになりました。A社長はインドネシア在住15年の大先輩です。私は、インドネシアを知り尽くしたA社長とK池さんが、インドネシア談義で盛り上がることを期待していました。
焼き肉レストランでの会食は和やかに始まりました。予想どおり、二人はインドネシアの話で徐々に盛り上がっています。しかしながら、会食が始まってわずか30分後には、全く予想だにしない展開となったのです。
それは、注文したはずの骨付きカルビがまだ出てきていないことが発端でした。
私 「店員さーん、骨付きカルビがまだ出てきていませんよ」
店員(インドネシア人)「申し訳ございません。すぐにお出しします」
K池さん 「『すぐ』といっても、インドネシアの『すぐ』は20分後か30分後かなあ?あははは!」
このときです。ついさっきまでにこやかに談笑していたA社長が、いきなり顔色を変えて、怒鳴ったのです。
A社長 「K池さん!たしかにインドネシアは時間にルーズだよ。しかしね、それを日本式で管理していくのが、我々駐在員の仕事なんだよ!望月さん!あなたの会社はそれができているのか!あんたらはね、あまいんだよ!」
唖然とする私。ついさっきまで、あんなに楽しそうに話をしていたのに。
K池さんの何気ない一言が、A社長のパンドラの箱を開けてしまったのでした。
A社長の勢いは止まりません。私とK池さんへ延々と怒りをぶつけて来ます。私は、ただただ謝るばかり。K池さんは、ずっと黙っています。
私は、これはとてもまずい状況になるのではないかと不安に襲われました。ここでK池さんを怒らせてしまったら、さらに取り返しのつかない事態になると思ったのです。
一番のお得意様であるA社長に対して『仁義なき戦い』をされてしまったら・・・
私の隣に座っているK池さんを横目で伺うと、膝の上で固く握ったこぶしが小刻みにふるえています。
もしここで、必殺技のグリーティングス・フロム・アズベリーバークをかけられてしまったら・・・
(ま・ま・ま・まずい! K池さん、どうかここは耐えてください!)
私は祈るような気持ちで、おそるおそるK池さんの方に目を向けました。
えっ!えっ!えーーーー!?
な・な・な・泣いている・・・・
私の隣に座っている人は、クラッシャーバンバンビガロでも、松方弘樹でもありませんでした。そこにいたのは、まるで親に叱られて泣きじゃくる幼い子でした。
K池さんは、ヒクヒク喉をつまらせながら何かを喋っています。
「だって、だって・・・、インドネシアは○%×$☆♭#▲!、カルビが出てこないのは□&○%$■☆♭*、ヒック・ヒック・・・」
ほとんど意味不明です。
私は、この時、「大人に怒られて泣きじゃくる大人」を生まれて初めて見ました。そして思いました。
顔面は柔軟性のある筋肉、だと。