説得力のない、確信
ー生きるって選択肢を狭くしていくことだ
ふらっと寄った本屋の入り口には大々的に、からだのかんけいに至った作家の新作が置かれていた。それまでだったら迷いもなく買っていたし、それまでの本は全て読んだし、その全ては本棚にある。なのに、その目の前にある、本屋に無数の場所に置かれている、新作の本を手に取って一行を読むまでにかなりの時間がかかった。
たぶん、そこにはあんな期待やこんな期待を踏みにじられる予感がするから、そしてそんな期待をしてる自分を自分で信じられないくらい嘲笑ってて、とにかく色々な矛盾した思いがあって、絡まってたからだと思う。
結果として、20分くらい本屋でそれ以上の読みたいと思える本を探したのだけれど、見つからなくて買ったのだけれど。
いつも通り、彼の小説は読みやすくて約1日で読了した。
あんなに買う前に絡まってた思いも、あっけなく私の存在なんて何もなくて、そんなの当たり前で、なんだかセックスをしたという事実自体が事実ではなかった感覚に陥った。作品に私の名前の女の子が出てきたら嬉しいな、とか、私にしかわからない私との時間での出来事の欠片がひとつでもあってほしいという期待みたいな願望みたいなものは散った。というか、そもそも見ている世界が違うのだから最初からないと分かっていた。それを踏まえた上でも期待をしてしまうのが人間なのかもしれない。
これからの私の人生で、また彼が作品を世に出す事があるとするなら、間違いなく私はまた買うことを迷って迷って迷った挙げ句買って、読んで、お門違いな落胆をするのだろう。もしかすると、手にも取らなくなる可能性もある。
ーあんなに好きだった人の、それを。
だから、
私は生きるって選択肢を狭くしていくことだと思う。
そしてその人とはきっと今後二度と会うことは無いのだと、
なんとも説得力に欠ける、確信がある。
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