薩摩文化 の0時限目 -災害と灯籠-
薩摩義士
暑さに加えて生憎の空模様。近年は列島各所で天災人災は問わず、被害がよく報道されますね。水害自体は昔からあったようで、人々は同じように悩まされていました。木曽三川の下流地域の氾濫も例外ではありません。
時は江戸、宝暦3年(1753)。薩摩藩島津家は幕府から木曽三川の治水作業命じられます。以前より目をつけられていたのでしょう。このただの一藩が産業革命真っ只中の欧州英国を相手に、白星を上げるのはこれから約100年後の話。
水害被害者や赤痢感染者も出しながらも工事を終わらせ、残ったのは多大な借金。薩摩藩の住民はサトウキビの収穫に追われそこからの重税で賄うことになるのでした。(黒糖地獄)
彼らは薩摩義士と呼ばれることになります。
六月灯
旧暦6月、グレゴリオ暦7月の1ヶ月は鹿児島市各所で縁日が開かれます。島津光久が上山寺の観音堂を再建した際、沿道に灯籠を点け檀家もそれに倣って寄付したのだとか。それを由来に鹿児島では縁日のことを六月灯と呼びます。
忙しない日々の中に
7月も半ば。今年の夏、鹿児島に予定がある方は近くの六月灯を探して、心身のリフレッシュしてみるのはいかがですか?
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