呼ばれてないけど飛び出た日
アホみたいなタイトルですみません
単なる生い立ちです
特別複雑ではないけど人生の始まりはここからなのでとりあえず書いてみます
両親は自分が1歳くらいから別居して少し揉めたのち、それでも3歳になる前くらいには協議離婚が成立しています
なので物心ついた頃には父方の祖母(ばあちゃん)が親でした
母不在は1歳過ぎくらいからなので何の記憶もありません
大人5人(祖父母、父、父の兄と妹)の中に子供1人で育ちました
その中でも色んな事があるけどそれはそのうち思い出したら書いてみるかもしれません
このnoteは時系列はまるで無視して思い出した事を書くので長文になる事も多々あります(何本も分けたら読みにくそうなので)
興味があるものだけでもお付き合いくだされば幸いです
そんな堅苦しい始まりですが、生まれはゆるゆるです
当時、美容師か何かの専門学校を卒業後に家出同然で上京して新宿で夜の仕事をしていた母
それをナンパしたのは大学を入学式のみで中退してから遊んでいた父
今で言う授かり婚で一撃必殺のワンナイト妊娠でした
それが何故結婚に至る羽目になったかと言うと、この両親意外にも厳格な家庭育ちだったのです
母の家は日本舞踊や三味線などを仕事にしている家系
父の家は所謂町工場ではあるけど祖父が創業して時代もあってそれなりに潤った家系
そして共通しているのは厳しく育てられて反発していた思春期を過ごしたということ
特別若過ぎる結婚とかではなかったけれど、親になる覚悟が殆どないまま結婚式を迎えたのは明白でした
そして新婚旅行で父が母に渡したのは手切れ金50万
母はそれを受け取ったのかは知りません
あれは忘れない、それだけ聞きました
そして岩手にある工場で父が働く為にアパート住まい
何故東京の祖父の元じゃなかったのかは不思議だったけど、まともに働く訳がないから岩手工場に送ったのかなとぼんやり思っています
すぐに母は出産の為に里帰り
トイレで破水して病院に駆け込み無事出産
そして退院してすぐにまた岩手へ
1歳を迎える頃には喧嘩も絶えず、母は出て行きました
というより追い出されました
部屋の中に残されたあんたを見たら笑顔でこっちを見てたのが忘れられないと未だに言われます
離婚が成立していないので親権も決まっておらず、隙を見ては互いに子供を連れ去って連れ帰っていたらしいです
それは父と母ではなく、父方の祖父母と母と母方の祖母がです
押し付け合うよりはましだとは思いつつ、子供側から見たらまあまあ滑稽です
そんな確執はありつつ、親権は父になりました
そして母は死んだ事にして自分を育てる事になったようです
体裁が悪いのか子供が可哀想だったからなのか大人の話し合いは知らないけど、とにかく母は死んだ事となりました
これは自分が16歳の頃に初めてきちんと疑問を抱いた事で戸籍謄本を取って発覚するまでつかれていたつまらない嘘でした
正直言うと墓参りしない事で疑問はずっとありました
ただ、物凄くどうでもよかったので深掘りもしませんでした
何故16歳で調べたかというとバイト先でそんな話になり、これだけ怪しいし生きてたら面白くね?と社員の人達とノリで戸籍謄本取りに行っただけの事です
父にそれを伝えたら「ばれた?うへへへへ」という感じでした
気持ち悪いです
受け取る側の考え方もそれぞれ違うだろうけど、母が生きてる事よりくだらない嘘を吐く大人しか家族にいない、ということの方が自分は驚きました
冗談で済まない嘘を吐く時は慎重にしましょう
そんなわけで気付いたら片親でしたが、寂しいと感じたり何で母がいないのとか母親欲しいとか思ったことは一度もありません
友達のお母さんが優しくていいなーこんなお母さん欲しいなーと思った事はもちろんあるけど、テレビで見るあれが欲しいこれが欲しいと同程度で画面が切り替われば忘れるくらいの気持ちでした
祖父母がいたからかもしれない
でもそれでも母親を求める人は割といる
なのに何で1mmもなかったのか、これは実は今も不思議です
友達にはお母さんがいるのに自分にはいない、それは別に当たり前過ぎて記憶の限り最初からないものなのが良かったのかもしれません
親が離婚する辛さは味わっていないからかもなとも思います
そんな感じで特に望まれる事もないまま世の中に放り出されましたが、初孫ということもあって祖父母にはとてもとても可愛がられて育ちました
そう、可愛がりすぎて本当にクソに育ちましたよ
それはまた次回
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