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あの時あの場所で


小学生時代に寮で生活していたのは以前の記事で軽く触れました
その時のことを少し

施設などではなく、全寮制の小学校です
わたしはそこで5,6年生を過ごしました
今は特別支援学校になったようですが、当時は健康学園とか養護学校などの名前で色んな自治体にありました

主に、喘息、肥満、偏食、虚弱の子を受け入れて健康的な環境と生活を与えられる場所です
まぁ、表向きは…

もちろん本当に持病が辛かったであろう子もいます
それは大前提です
入学するにあたり、健康診断のようなものもありました

自宅で過ごすには大変そうな喘息の子は発作がなくても薬や呼吸でわかります
肥満はもちろんわかります
そこで不思議なのが虚弱と偏食です
きっと基準はあるんだと思いますが、成長曲線からわかりやすく逸脱していたりしない場合どこで診断されるんでしょう???
それでも虚弱のグループはもしかすると熱を出しやすかったり、親は困り事を抱えていたかもしれません
偏食も健康に育って欲しい親は悩んだかもしれません
手元から離して治したいくらいはどのレベルなんだろう?と思ったことは多々あります

つまり、一体どこが不健康なのかさっぱりわからない子が虚弱偏食グループにちらほらいます
そういう子は家庭環境が複雑だったり、親子関係があまり良くない子が多かったですね

わたしは当初は喘息のグループでした
確かに小児喘息は持っていたし、入院も何度も繰り返しました
でも最初はアレルギーからきてると思われていた発作が心因性かもしれないとなった時に祖母はこの学校に入れるのを考えたようでした
猫以外のアレルギーの時にはじんましんなどで発作が出ることがなかったのと、発作が出る日は父がいる夜だったからです

今のアレルギー検査は血液検査で色々なものがわかって便利ですよね
わたしが小さい頃は検査したいアレルゲンの数だけ腕にボールペンで印をつけて針で引っ掻き傷を作り、そこにアレルゲンの液体を垂らして反応の有無を見るというものでした
子供には結構嫌な検査です

その結果、アレルギーはいくつか見つかったものの喘息の引き金になったのはその中では猫に触った時だけでした

そんな経緯もあり父と離して身体を鍛えるという目的での入学でした
もちろん発作なんて出ません
月に一度家族が面会に来る日があり、校内ではなく外出の前日に一度だけ軽い発作はあったけどそれだけです

なのですぐに虚弱偏食グループになりました

その学校は8部屋ほどの寮があり、各部屋10人程度で生活します
3年生から6年生の男女が同室なので今は変わっているといいなと思います
当時は昭和
乾布摩擦なんてものがありました
寮の同室の子で輪になってパンイチで乾布摩擦です
もう胸が膨らみ始めてる子も男子と一緒にパンイチでやります
今じゃ考えられないけど、寝食を共にしててもそれはちょっと嫌だったかもしれません

寮から学校へは渡り廊下で繋がっているけど雨が降っていない日は一応外の玄関から登校する形になっていました

そして体育が2時間続けてあります
一般的な小学校ではプールの時くらいだったと思いますが、そこでは必ず2時間続きです
山の中腹にあるので最初の1時間は筋トレをしたあとに山道を2km走りました
それが準備運動です
そして後半1時間でやっとマット運動したりポートボールしたり体育らしいことをします

そこにどのグループの子かの差異はありません
昭和だったのもあるし担任がボディビルやってるのかと言うくらいのゴリマッチョだったので連帯責任と根性論のオンパレードでした

でもね、めっちゃ楽しかったんですよ
今でも一番その担任が好きです

丸めた新聞をギチギチにビニールテープで巻いて固めたやつでケツバット
スペシャルと称した空気椅子(何故か中学にも同じネーミングつけてる教師がいた)
体罰なんていくらでもありました
でも、真正面から受け止め怒り笑って楽しんで色んな体験させてくれたのもこの担任です


もう北斗の拳あったのか笑

寮で日記を書き、それを提出すればこんな返信です
寮母さんと担任から返信が来るシステムです

預かってる子供だからと安全策を取りたい寮母さんと、いきなり校外学習を勝手に始める担任はいつもバチバチでした
子供がどちらが楽しいかは一目瞭然ですが、今は寮母さんの気持ちもわかります

事故があったらどうなるか、担任が一番わかっていたはずだしいつも怒られてましたが全然懲りる事もなく「よっしゃ、校外学習じゃ」「天気もえーからドッジボールやりに行くぞ」と時間割や予定無視の日がたくさんありました

そんな厳しくも楽しい2年間はとても思い出に残っています
色んな事件もありました
それは小ネタ的にいつか吐き出す日があるかもしれません

そしてこの時期に寮生活を経験していたお陰で少年院での不安はありませんでした
皮肉なものだなとは思うけど、経験というのは価値があるなと今も考えています

全てをプラスにできていたら違った未来があったかもしれないし、行き着く所は同じだったかもしれない
それはわからないけど結論としては健康はさておき行ってよかったです

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