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【001】 30後半で知らない町に移住して、40半ば過ぎてやっと見えてきた『自分らしい』と思えた生き方。

【はじめに】

昨年のコロナ禍の中、クリエイターとして元気に活躍している後輩たちがnoteをやってるのを見かけて、なんとなく『自分も書こうかな?なんか楽しそうだし、今度の自分のためにも…』と思い登録したのですが…それから約1年何も書かずに結果的に放置状態でした。

はじめまして。
以前は神戸人、現在は南相馬人のおっさんです。

現在、福島県の南相馬という町でフワッとデザイン・イラスト業をしつつ、お隣浪江町含めて可能な範囲のお手伝い仕事をしつつで、なるべくペースを守って生きています。

僕は38歳になって間もない2013年の4月に生まれ育った神戸を出て、南相馬に来ました。

当初『3ヶ月くらいで神戸に帰って、新しい仕事の立ち上げ見据えて、動いていこうか…』となんとなく思っていたのですが、知らない町を散策したり多くの町の人と出会っていくうち、『なんだろうこの感覚は…今の神戸にはないような懐かしくかつ、フワッと優しい感じもするんだけど、しっかりとしたような感覚…』と思うように。

そして、とある場所に連れて行ってもらった時に『その感覚がなんなのかを確かめるためにも、もうしばらくここにいよう。』とそのまま移住することを決めて今に至ります。

南相馬を知ったきっかけ。

南相馬を知ったきっかけは、2011年3月に起きた東日本大震災福島第一原発事故でした(ちなみに今は、事故の起きた福一から直線距離で北へ25kmくらいのところに住んでいます)。

当時、その被害にあった地域の人たちが『放射能デマ』で苦しんでたり、それによって傷つけられたりしてることに神戸にいながらずーっと腹が立っていて、『(ちくしょー!今すぐにでも行って、それはデマなんだと身をもって証明したい!)』という思いがあったもののいろいろあってすぐには行けず、その後、南相馬との縁ができて、震災が起きて2年過ぎてからそれまでの職を一旦休むカタチで神戸を離れました(その辺の話などもまた追々…)。

noteに登録したのになぜ『放置状態』になっていたのか。

38歳になって南相馬に来て、それまでやりたい(…というより、せっかくその学校を出たんだから、その仕事をしてる人になっておかないと…に近い感じかも?)と思っていたデザイン・イラスト業を少しずつはじめて、スロースターターながらも南相馬の方達のおかげでそれなりに実績を積んできたと思っていたのですが、震災の復旧が東日本の沿岸部の中で遅れていた南相馬でも、ここ最近は生活感が普通に戻ってきたようなところもあり(復興テーマのイベントもほぼなくなり)、日に日に『なんで自分は今ここ(南相馬)にいるんだ?』という気持ちになっていきました。

そんなモヤモヤしてる日々を過ごしていた頃にコロナ禍に。

デザイン・イラスト業のメインとしていた町のイベントがほぼ開催できなくなり、その影響で仕事が激減。

なんとか生活ができる稼ぎはあったものの、神戸に帰ることも難しくなり、『ここで毎日やってることって、神戸でもできてたことじゃん。。オカンのこととかも心配やしなぁ。。』と、自分がそれまで以上に南相馬にいる意味が分からなくなって途方に暮れていた毎日を過ごしていました。

そんな中、noteを通じて教え子とかが頑張っていることを知りました。

『あかん。このままじゃいけない。だからって、どうしよう…これからの時代、自分の好きなことをテーマに絞って、イラスト系の仕事をするのもありか?』と思って試しに頑張ってみたものの、モヤモヤ。やればやるほどモヤモヤモヤ。。

飛行機で例えるならタッチアンドゴーを繰り返すばかりで気持ちよく着地できず、最近はそのタッチアンドゴーも段々燃料切れになってきた感があって、他のクリエイターさんたちのように楽しく書こうと思って登録したnoteをどうしても書く気になかなかなれず。

そんな中、『あれ?そもそも僕、デザイン・イラストを仕事にしたかったんだっけか?』と思い、これまでの自分を客観的に振り返ってみて改めて『そっかー!』と気づいたことがあってやっと気持ちよくnoteを書ける気がしてきたので(なにー!)、今回はじめて書いてみた次第だったのです(さて、次は何から書いていこう…笑)。

(PS.この記事の大半書いて保存したくらいから、急激になんやかんやと忙しくなり、下書き状態で放置することさらに4ヶ月…登録して1年半かかってやっと初投稿っちゅう…汗)


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