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面白い話より、楽しい話が大事なのか

この前人生順風満帆な同い年の女性とご飯に行ったのですが、ステレオタイプの陽キャ女で聞いてもいない幸せ話の押し売り。

どうでもいい彼氏の話だったりを延々と聞かされるわけですね。

私はと言えば不幸話が多すぎて楽しい話は一切ありません。

しかし不幸話は自虐やおもしろに昇華できるので私の話は基本恨み節を笑い話にして話すことで成り立つのです。

例えば、付き合ってた彼女がどんどん疎遠になっていって別れ話を切り出され色々頑張っても結局別れることに!後から知ったのだが二股されてた!!

次に付き合った子は良い子だったけどとんでもなく怪しいビジネスにどハマりされてえらいことになったで!!

大学の頃一緒に研究してたチームで俺が浪人してて1番年上なのに焼きそばパン係(俗称)として実験中パシられまくってた!!

とか色々出てくるんですね。汗だくになりながら話すんですけど一言いわれましたよ。

『お前の話って愚痴しかないの?』

もう泣きそうでしたね。これは愚痴というカテゴリーに入るのかもしれないけど決して恨み節で話しているわけではない。そりゃ根底には恨みはあるけれど笑い飛ばすような話なのだ。むしろ一緒に笑ってほしいぐらいなのだが向こうが求めている楽しい話というのは『おともだちと遊んだ』『旅行に行った』『気になるグルメが美味しかった』ということなのだ。

残念ながら私のトークデッキにそんなものはありません。ゲームは多少するけれど全く興味が無いことはわかっている。

楽しいことをして、楽しい話をできなければ楽しい食事もできないのだ。
よくよく考えたら私の話というのは確かにちゃんと聞いたら重くてしんどい気もする。こんな被害者みたいな人生でどうやって楽しい話をすれば良いのか。色々模索して足掻いた結果がこのあっけらかんとペラペラ笑い話にして話す、というものでそれが武器なのだがそれを根本から否定されてしまってはもう何も話すことはできなくなってしまう。

そして案外そういう陽キャ女ってこっちが話さなくなると自分から発信はしないようでただただ無言が続いた。いや、私がもう楽しく話せる空気ではなかったせいなのかも?
とにかく私はまだまだ話せる内容はあったけど『それも愚痴由来の話だよね?』と一蹴される気がしてならず、もはや何も言葉を発せなくなった。
だんだん腹が立ってきた。これはオーディションなのか?なぜお前は私の発信に対していちいち評価をするのか。それはつまらない話、愚痴だよね?とか何様なのか。そんなものは心の中にしまっておけ。

この日は落胆と覚悟の日だった。
私の人生はつまらないって痛感したし、こんな訳のわからんやつに否定される筋合いもない。私はやはり最低限の関わりだけで十分だと思った。

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