やりたいことが多すぎてブレる

もはや件名の通りなのだが、28歳を迎え、20代の第4コーナーを回った状況でやりたいこと、やれていないことが数多くある。

今年の5月時点で以下記事で述べているとおり、北海道にきてやりたいことは数多くあった。

その中でいくつかできたものと全くできていないもの、そして新たにやりたくなってきたものがふつふつ沸いてきたのでそれを残したい。

できたこと(5月から10月まで)

・いくつか作曲したものyoutubeやsoundcloudに投稿

・DTM甲子園に楽曲を提出
・民族音楽を学ぶため、東京藝術大学の小泉文夫記念館へ訪問
・札幌市内の美術館巡り
・転職活動(2次試験で落選)
・ロゴ作成のための勉強及びそれを使っての作品作り(illustrator)
・クラウドソーシングサービスへのロゴ提案(2件)

できていないこと

・狩猟免許の取得
・アイヌの研究
・写真撮影(撮影したものの加工・投稿などはできていない。)

できていないことをやる方法考える前に、
本当にそれが必要なのかをもう一度考える。

やりたくなったこと

・英語学習
・イラスト投稿によるインスタグラム運用

英語を勉強したくなった理由としては、
東京への出張時にクラブで会った外国人と仲良くなったのだが、
その時にもっと英語が話せればもっと仲良くできたかもしれないと感じたからだ。どんな人生を歩んできたのか、好きなアーティストは何か?どんなことに幸福や怒りを感じるのか。深いところまで聞いてみたかった。

それとつたないながら英語を話しているときに、普段の自分からは出てこない感情や言葉が出てくるような気がした。当たり前だが普段日本語で思考し、日本語で表現しているから気が付かなかったが、英語を身に着けることで自分の中での別言語で思考する人格を身に着けられるんじゃないか。

あとは一時期英語を頑張って勉強していたがTOEIC625点という何とも中途半端な点数で止まっていたため、どうせやるなら730点くらいほしいな。

イラストはずっと絵を描けるようになりたいと思っていた。
今後50年生きると仮定したときに、絵が描けない50年と絵が描ける50年なら迷わず後者になりたい。

こうして改めて自分のやりたいことを振り返るにあたり思ったこととして、

想いを伝えるには言葉が必要だが、言葉が生まれる前は人間はどのように思いを伝えていたのだろうか。

それは歌であり、踊りであり、絵画だったのだろうか。
思っていることを伝える手段がなく、悲しみに暮れたものもいたのかもしれない。

今後の人生で俺は何を経験するかはわからないが、
何を経験したとしても、それを吐き出せる表現方法をいくつか持っておきたい。それが音楽であれ、イラストであれ、英語であれ。

それが残り1年半となった俺の20代としての生き方なのかもしれない。


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