男は独りで泣かない。~orangepekoe~
「どこだよ…?」
郁実は、道に迷っていた。郁実が普段使っている駅から四つ先の、複合商業施設が隣接した大きな駅。そこから十五分ほど歩くと、大きな体育館があるはずなのだが、郁実はそれを見つけられずに彷徨った挙句、一度駅に戻ってきていた。
「えっと?駅がここで…?」
友人が書いてくれた地図を見た。しかし、地図の描き方があまりにも雑で、まったくわからなかった。
「周辺地図とかないかな…?」
辺りを探すと、少し離れた所に「駅周辺案内板」を見つけた。
「おぉ、あったあった」
郁実はすぐに近づき、友人の地図と案内板を見比べた。しかし、友人の描いた地図は、駅の位置から道から、何から何まで全く合っていなかった。
「全然違うじゃねーか!」
郁実は思わず大声を出した。すると、背中から、「何が違うの?」という声がした。びっくりして振り返ると、そこには美雪がいた。
「え?美雪さん?」郁実は、恥ずかしい所を見られて顔が真っ赤になっていた。
「何が違うの?」ともう一度言うと、美雪がクスクスと笑った。
「いや、体育館探してるんですけど…」
「体育館?」
「はい、そこで友達の空手の試合があって…」
「あぁ」と美雪が頷いた。
「市民体育館ね。わかるよ」
「え、本当ですか?」
「うん。私も昔、部活の試合で何度も行ったから」
「本当ですか!良かったぁ。どう行けばいいんですか?」
と、郁実は案内板を指さしたが、美雪は「空手の試合があるの?」と聞いてきた。
「はい。空手部の友達がいて。その応援に」
「そうなんだ…」
美雪が、少し黙った。何かを考えているようだった。
「ねぇ、それって誰でも見れたりする?」
予想外の言葉が返ってきて、郁実は少し驚いた。
「多分、大丈夫だと思いますけど…。え、見るんですか?」
「うん、急に暇になっちゃったのよ。だから、もし見れるんなら、見てみたいな」
「ほんとですか!」と郁実が笑顔になった。思わず大きく喜んでしまい、恥ずかしくなって「…友達も、喜ぶと思います」と慌ててつくろった。
「ふふふ。じゃあ、連れてってあげる」
そう言って、二人で歩き出した。駅の複合商業施設は、この辺ではデートスポットになっている。「ドタキャンされたんだろうな…」と郁実は思ったが、言わないでおいた。
「ここよ」
「うわ、でけぇー」
部活に入っていない郁実は、市民体育館に来るのは初めてだった。
「会場はどこ?」
「えっと、ホールCですね」
「じゃあ、こっちよ」
ホールCは地下にあった。地下への階段を下りていく時、たくさんの道着姿の学生たちとすれ違った。学生たちは、美雪に見とれたあと隣の郁実を睨みつける、という仕草を繰り返した。
「うぉ、広っ」
いちいち大きな反応をする郁実を、美雪は心の中で面白がっていた。
ホールCの構造は、客席が高いところにあり、試合のコートを見下ろす形になる。観客はまばらだった。二人は、最前列に空いている席をみつけ、そこに座った。
「すっげぇな、こうなってんだ…」
郁実が周りをキョロキョロと見回した。その様子を見て、美雪が「ふふふ」と微笑んだ。
「あいつ、もういるかな?」
郁実が、コートを見下ろした。コートの中では、試合に出るであろう学生たちがそれぞれ、ウォーミングアップをしたり、コーチからアドバイスをもらったりしていた。
「郁実ー!」
コートから声が聞こえた。そっちに目を向けると、道着を着た友人が郁実に手を振っていた。郁実も、「頑張れよー!」と手を振った。
「おー!」
と、手を振ると、友人は中断していたウォーミングアップの続きを始めた。
「あれが、友達?」
「そうです」
「へぇ~、すごい強そう」
「強いみたいですよ、空手部の中では」
そう言って腰を下ろした。美雪は今の郁実の一言に、熟練者が初心者の実力を認める時の『余裕』のようなものを感じ、「この子は、どれだけ強いのかしら…」と思った。
「お、始まりそうですね」
コートにいた選手たちが、はけていくのを見て郁実が言った。美雪は、初めて見る空手の試合にワクワクした。
「はぁ~、すごい」
一試合目が終わり、美雪が大きな息を吐いた。「すごい迫力ね~」と漏らす美雪を見て、楽しんでくれている様子に郁実は嬉しくなった。
「…あ、友達じゃない?」
美雪がコートを指差した。入場してくる友人に、郁実が「頑張れよー!」と声をかけた。友人は、その声を受け、集中した様子で試合に臨んだ。
「やめっ!」
審判の声が響いた。友人は、試合に負けてしまった。美雪が「あぁ…残念」と声を漏らした。コートでは、友人が対戦相手と礼をし、退場していくところだった。
後姿しか見えなかったが、友人の肩が震えているのが郁実にも美雪にもしっかりと見て取れた。
「…俺、ちょっと行ってきますね」
「うん」と見送り、美雪は次の試合が行われようとしているコートに目を向けた。
「…優しいなぁ」
ぽつりと、つぶやいた。
「…あ、そうだ」
郁実が帰ってきたときのためにコーヒーでも買っておこうと席を立ち、ロビーに向かった。
「…あ」
そのロビーのベンチに、郁実と、涙を流して悔しがっている友達の姿を見た。郁実は、友達の肩に手を置き、励ましていた。
美雪は二人に見つからないように、そーっとその場を離れて別の自販機に行き、缶コーヒーと紅茶を買って席に戻った。
「お待たせしました」
郁実が戻ってきた。美雪が、「おかえりなさい」と缶コーヒーを手渡した。
「あ、ありがとうございます…」と受け取った郁実が、美雪の目を見た。
「ん?」
「ロビーの自販機ですか?」
「うん」
「全然気づかなかった」
「そーっと出てったからね」
「忍者ですか、あなたは」
「ふふふ」と美雪が笑った。
「男の子が泣いてるところを見られるのは、恥ずかしいかなーって思って」
その言葉への郁実の返事は、少し間があった。
「…どうなんでしょうね」
その答えに、美雪が笑った。「『どうなんでしょう』って。ふふふ」
「郁実は泣かないもんね」
その後に、もう一つ、「ふふふ」と微笑みを付け足した。
「…そうですね。泣かないですね」
その返事に、美雪は「うん」と力強くうなずいた。
「そうよね。男は、人に涙は見せないわよね」
郁実が、少し黙った。そのあと、こう言った。
「…それは、違いますよ」
「違うの?」
「えぇ。人に涙を見せないって事は、一人で泣くって事です。一人で泣くってことは、自分自身に涙を許すって事です。男は、そんな事しちゃいけません」
「…じゃあ、男はいつ泣くの?」
「自分より強い男の人か、優しい女の人に『泣いていいよ』って言われた時です」
郁実が、言い切った。美雪が「なるほどねぇ」と言った。
「自分に涙を許す男は、弱いって事ね」
「そういう事です」
郁実が、大きくうなずいた。美雪は、郁実があの友達に泣くことを許してあげたのだと、理解した。「やっぱり、優しいなあ」と思った。
美雪が「…ふふっ」と笑った
「…なんですか?」
「郁実より強い男の人ってのは、無理があるんじゃないかしら?」
そう言って、笑顔で顔を覗き込む美雪に、郁実は「ははは」と笑った。
「そうですね。だから俺は、泣かないんですよ」
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