それぞれの、らしさ。

「お花屋さん!」

金曜日の夜遅く、さやかが郁実の花屋に入ってきた。その日はいつもの学生服ではなくカジュアルな私服姿で、ご機嫌な様子だった。郁実は「おー、いらっしゃい」と迎えた。
「どうしたの?こんな夜遅くに」
さやかは郁実のその質問に「こんなに遅くまでお店やってるんですね?」と質問で返した。
「うん。一応、電車が終わるまではね」
「…なんでですか?」
「ん?例えば、恋人の誕生日とか、奥さんとの結婚記念日とか、『あ、今日だった!』って時に花屋が開いてると便利でしょ」
その話を聞いて、さやかは「この人は毎日優しいんだなぁ」と思っていた。
「どうしたの?今日は。かっこいいね」
その質問に、さやかの顔が「ぱっ」と明るくなった。
「そうなんです!今日、ライブだったんです!」
さやかが郁実に左手を見せた。小指に、あの日持って帰った指輪をつけている。郁実は指輪を見てから一度カレンダーを振り返り、「あー、今日だったのか!」と笑顔になった。

 花屋は店のレジカウンターに自作の銀細工のアクセサリーも並べていた。さやかは小さな花のモチーフのついたその指輪に一目惚れしたのだった。「ライブにつけて行きたい」と買おうとしたが、予算と合わず諦めようとした所を、花屋が「代金は後でいいから」とその日に持って帰らせた。

 「誰のライブだったの?」
花屋がコーヒーを淹れ、いくつかの甘いお菓子と共に持ってきた。
「ケミストリーです!」
花屋はその名前を聞いて「…あぁ」と、両手の人差し指と親指でこめかみからぶら下がるサングラスを表現した。それを見て、さやかが「そうです、それです」と笑った。
「川畑さんですね」
「どっちが好きとかあるの?」
「どっちも好きですし、ケミストリーが二人でいるのが好きですけど、どっちかっていうと『side-D』です」
「さいどでぃー?」
「堂珍の『D』です」
「あぁ、なるほど。じゃあ、逆は『side-K』になるの?」
「そういうことです」
「なるほど、面白いね」
花屋が言うと、二人で笑った。

 「その様子だと、楽しめたみたいね」
「もう、すっごく楽しくて!」
「それは良かったね」と郁実がコーヒーをすすった。
「お花屋さんのお陰です!」
「いや、俺は何もしてないよ」
「違うんです!これが、お花屋さんのお陰なんです!」
「…なにかあったの?」
「今日はライブのあとに握手会があったんです。だから、『二人に指輪見てもらおう』って思ってて」
「握手会って、そんな会話もできるんだ、すごいな」
「はい!でも、自分の番の直前で、『あ、握手会だ!』って気づいて」
「…ん?」
「あの、握手するから、指輪してたら二人の手を傷つけちゃうと思って。だから、慌てて外そうとしたんです」
「あぁ、そうか。なるほどね」と頷きながら「優しい子だな」と思っていた。
「だけど、体温上がって指むくんでるし、汗かいてるしでなかなかとれなくて。そしたら、とれないまま自分の番がきちゃって」
「うわ、焦るなぁ、それ。目の前にいるんでしょ?ケミストリーが」
「そうなんです。目の前に川畑さんいるのに、まごまごしちゃって。そしたら川畑さん、『そのままでいいよ』って手を伸ばしてきて、『ぐっ』って握ってくれたんです!」
「へー、優しいなぁ、あの人」
「そう、優しいんです!で、手の指輪見て、『お花かわいいね』って言ってくれたんです!」
「優しいなぁ~!」
「ほんと、この指輪つけて行って良かったです。こんなこと、ないですよ!」
そう、興奮しっぱなしで話すさやかが本当に楽しそうで幸せそうで、花屋の顔にも笑顔が浮かぶ。
「…でも、やっぱ、『かわいい』って言われたか」
「だって、かわいいですもん」
さやかが笑い、花屋は「う~ん…」と苦笑いした。

 「肝心の堂珍さんとはどうだったの?」
花屋からそう聞かれ、さやかはクッキーを口に入れようとしてた手を止め、噴き出すように「んふふ」と笑った。その様子に、花屋も「どうした、どうした?」と笑う。
「堂珍さんは、この花を見て、『ねこ?』って」
「…ん?」
「『ねこ?』って」
「…ねこ?」
「はい、確かに、そう言いました」
「…お花なんだけどね?」
「不思議な人なんです」
「そうだね、不思議な人だ」
二人同時にコーヒーをすすり、「ずずっ」という音を立てた。そして、二人同時に「はぁ」と息を漏らし、二人同時にカップを置いた。
「…なんで猫なんだろうなぁ?」
指輪のモチーフは、中心の丸い円の周りを小さな五枚の花びらが囲んでいるデザインだった。花屋には、どう見ても猫には見えない。
「私も、『なんでだろう?』って思って、帰りの電車で指輪眺めてたんです。で、もしかしてなんですけど…」
「うん」
「このお花を、猫の肉球だと思ったんじゃないですかね?」
そう言われ、改めて指輪をまじまじと見た。言われてみれば確かに、猫の肉球に見えなくもない。
「…なのかな?」
「もしかしたら、ですけど」
さやかがそう言うと、少しの沈黙のあと、二人が大きな声で笑った。
「あはははは!すげぇなぁ、あの人」
「独特の世界を持ってますから、あの人は」
「だなぁ、他の人にはない世界観だ」
そう言った後「でも、さやかちゃんからしたら、ちょっと残念か」と付け足した。さやかが「え?」と声を漏らすと、「堂珍さんに褒めてもらいたかったんじゃない?」と聞いた。しかし、さやかは、「いやいや、むしろ逆です」と笑顔で首を横に振った。
「それが堂珍さんらしいっていうか。なんか許せちゃうっていうか。むしろ、そんな所が好きだったりもします」
さやかが小さく微笑み、花屋も「お~、それはファン心理だなぁ」と笑った。
「優しくしてくれたのも川畑さんらしいですし、不思議な反応もすごく堂珍さんらしいです。この指輪のお陰で、二人の『らしさ』が間近で見れて、すごく楽しかったんです。だから、一番にお花屋さんに言いたかったんです」
「俺も嬉しいよ、ありがとう」
「遅くまで店を開けてて良かったなぁ」と付け足して笑った。

 「…二人は結構、核心ついたこと歌うよね」
「…あ、知ってますか?」
「昔、朝の番組の歌うたってたよね?」
「『SOLID DREAM』ですね」
「かな?タイトルまではわかんなかったけど、歌の中でさ『強くなると、優しくなくなっちゃう』みたいなことを歌ってた気がして」
「あ、わかります」
さやかが、メロディをつけて歌う。

『わかりもせずに強さを持てとか誓ってみるけど 
            優しい気持ちにまた鈍くなってしまってるだけ』

「さすが」と花屋が小さな拍手を贈る。
「いい歌詞ですよね。私も好きです」
「うん。なんか、ドキッとしたんだよな。見抜かれた気がして」
花屋のことを、「あの子は、強い」と美雪という女性が話していた。子供のころから、恵まれているとは言えない家庭環境で育ち、強固な心を身に着けたらしい。そして、体も一目でわかるほど強靭な肉体を持っている。
 それに加え、他人を思いやる優しさも持っている。さやかの小指で光る指輪がその証拠だ。
「お花屋さんは、すごいです」
「ん?」
「二番は、こう続くんです」
また、さやかが可愛く歌う。

『ガラじゃないのに優しくあれとか言い聞かせるけど 
            気づけば今までより脆くなってしまってるだけ』

「やっぱ、いい曲だなぁ」と花屋が言葉をかみしめた。
「お花屋さんは、優しいのに全然脆くないです。だから、すごいです」
「そう?」と言いつつ、花屋がさやかのカップにコーヒーを注ぐ。その腕には無数の傷跡があった。
「私は、だめです。やっぱり、脆くなっちゃいます。普通の人はそうなると思うんです」
「…それでいいんだと思うよ?」
「え?」
「きっとね、優しさを持つって、その『脆さ』を覚悟することなんじゃないかと思うんだ。その脆さを覚悟して他人を思いやる気持ちが、優しさなんだと思うんだよ」
「だから、脆くなってしまうさやかちゃんは、きっと本当に優しいんだよ」
「俺は、脆くなれないんだ」
郁実がそうこぼした。さやかが郁実の目を見る。普通は、他人を思いやるのと同時に、自分が脆く弱くなってしまうことに悩む。しかし、この花屋は脆くなれないことに悩んでいる。その姿が、この曲の風景と重なった。
「この曲、なんだか郁実さんらしいと思います」
「そう?」
「前に、美雪さんが言ってました」
「…いやな予感がするな」と言いつつ、嬉しそうだった。
「『あの子は、お人好しで、要領が悪くて生きるのが下手で、貧乏くじばっかり引いてて、』」
「ボロクソじゃねぇか」
「『他人を優先しすぎて自分の事にとりかかるのが遅すぎて、』」
「まだつづく?」
「『だから、あの子の人生は色んな事がふぞろいなんだ』って」
「めちゃくちゃ言うな」
「で、『不器用だ』って」
「やっぱりボロクソじゃねぇか!」
「でも、『そんなところがあの子らしい』って」
「…そっか」とつぶやく花屋は、やはり嬉しそうだった。
「今日、お花屋さんと話してて、なんか、それがわかった気がします」
「美雪さんがすごいのはさ、」
「はい」
「それを、俺にも直接言うからね」
さやかが大きく笑った。
「こんなにボロクソにですか?」
「こんなにボロクソにだよ」
「あの人はあの人ですごいですね」
「ね。普通言わないでしょ?」
そう言いつつ、やはり嬉しそうに笑っていた。
「でも、そういうところも美雪さんらしいですよね」
「まぁ、そうなのかな」
「いいですね、そういうの」
コーヒーをすすりながら、さやかがつぶやいた。その一言には、少し、暗さがあった。その暗さを気にした花屋が「どうしたの?」と聞いた。
「私、『私らしい』って、わかんないんです。何が『自分らしい』んだろうって」
「…そうなの?」
「川畑さんの優しさもそうですし、堂珍さんの独特の世界観とか、お花屋さんが今話してくれた優しさに対する考え方も、ものすごく『らしい』なぁって思うんです」
「うん」
「美雪さんが郁実さんに遠慮がないのも」
「そうだね」
「私、自分から動くって事があんまりなくて。遊びに行くのも友達から誘われたりすることの方が多いし。嬉しい日にお花を買うのも、おばあちゃんから教わったことです。自分の意志で決めた事って、少ないんです」
「うん…」と郁実が腕を組んだ。
「だから、私らしさって何だろうって、このまま生きていっていいのかなって、悩んじゃうんです」
さやかが、コーヒーを一口すすってカップを置き「ふぅ」と小さく息を吐いた。それを見届けて、花屋が言う。
「俺なんかより、さやかちゃんの方が何倍もすごいよ」
その一言に、さやかが驚いた。
「…なんでですか?」
「俺は、自分らしさが何かなんて考えたこともない」
「…それはきっと、お花屋さんがしっかりと『自分』を持ってるからです」
「いやいや、そんなことない。それはちがう」
花屋が一口、コーヒーをすすった。
「さやかちゃんが、最初に店に来たときね、なんて凛とした子なんだろうって思ったんだよ。礼儀正しいし、イスに座る姿も、背筋がピンと伸びてカッコイイなぁって。それで、弓道やってるって聞いて、『あ、だからかぁ』って」
郁実が自分をそんな風に見てくれていたことが、さやかは嬉しかった。
「こないだテレビつけたら、弓道の審査会の様子がやっててさ。それ見てたら、『あぁ、これは大変だなぁ』って思ったんだよ。弓道は、柔道や剣道と違って、誰かと戦って相手を倒すものじゃないでしょ?自分と向き合って、自分自身と戦わなきゃいけない競技なんだなって、見てて思ったんだ」
さやかは、ただの審査会の様子からそこまでくみ取れる花屋を「やっぱり優しい人だ」と思っていた。
「だから多分、そうやって『自分ってなんだ?』って、自分自身とちゃんと向き合える所が『さやかちゃんらしい』って言えるんじゃないかな」
「…そんなところを『自分らしい』って思っちゃっていいんですかね?」
「うん、多分ね、『自分らしさ』って、そういう事なんだと思う。自分じゃ『これじゃだめだ』とか、『こんな事が?』って思う事が、人から見たら『らしさ』に見えるんだと思うよ」
さやかは、花屋の次の言葉が楽しみになった。
「俺だって自分が不器用で生きるのが下手なところなんて、『自分らしい』なんて思ってなかったよ。もっと賢く、上手に要領よく生きたいと思ってたしね」
「いや、そう思うのは、今もだけどさ」とつぶやいてから続けた。
「もしかしたらよ?堂珍さんだって、そんなところを『自分らしい』なんて思ってないかもしれない。むしろ、ちょっと嫌かもしれないし」
「嫌がってはいなくても、喜んではないだろうな」というのは、さやかも思っていた。
「でも、ファンから見たらそこが魅力だし、そういう所が好きだったりするわけでしょ?」
「そうですね」
「だから、さやかちゃんは自分らしさを見つけられない事を悩んでるのかもしれないけど、そうやって悩んでる顔も、さやかちゃんらしくて素敵なんだと思うよ」
「…そうですか?」
「うん」
「自信持っていいんですかね?」
「いいと思うよ」
花屋が、大きく頷いた。
「じゃあ、自信をもって、いっぱい悩みます」
花屋が「あはは!」と笑った。
「うん、いっぱい悩みな。悩んで、頭使って疲れたら、甘いものでも食べにおいで」
「はい、そうします」
さやかが、マシュマロをひとつ、口の中に放り込む。やさしい甘味が広がった。

「お花屋さんは、わたしよりわたしのことがわかるんですね」
「ん?」
「空の高さが知れた気がします」
「…それも何かの歌詞?」
「知りませんか?」
「ごめん。わかんないや」
「じゃあ、これあげます」
さやかが一枚のCDを差し出し、郁実が受け取る。
「いいの?大事なものなんじゃない?」
「いえ、五枚ぐらい持ってるので」
「そんなに?なんで?」
「ファンですから」
「そっか。ファンは大変だね」
「いえ、普通です」
「そっか。じゃあ、ありがたくもらっておくね」
「特に、二曲目です。聴いてください」
「二曲目ね。了解」
「お花屋さん」
「ん?」
「不器用でかまわないですよ」
「そう?ありがとう」
「遅すぎることもないですし」
「うん」
「ふぞろいでも、いいと思います」
「そっか。ありがとう」
「はい」
そう言ってほほ笑むと、「お花屋さん」と店の一輪百円の赤い花を指さした。
「あれ、売ってください」
花屋は、「いいよ。今日は、プレゼントするよ」と言ったが、さやかは「いえ、だめです!」と断った。
「嬉しい事があった日は、お花を『買う』って決めてます。その決まりを守れなくなります。それは、私らしくないです!」
そう、強く言い切るさやかに、花屋は一度微笑んで、「…そっか、じゃあ、お買い上げありがとうございます」と頭を下げた。

 花屋が赤い花を包んでいるとき、さやかのスマホが鳴った。
「…あ」
「どうかした?」
「おかあさんが、『遅いけど大丈夫か?』って」
「あぁ、そうか」と花屋が時計を振り返った。気付けば、かなり遅い時間になってしまっていた。『家まで送ってあげた方がいいか?』と考えていた。
「お兄ちゃんが駅まで迎えに来てくれるみたいなので、こっちに歩いてきてもらいます」と言った。
「良かった。それなら安心だね」

「今日は、ありがとうございました。やっぱり、お花屋さんに一番に報告に来て良かったです」
「俺も嬉しい話いっぱい聞けて楽しかったよ、ありがとね。またいつでもおいで」
「お小遣い出たら、指輪のお金払いに来ますから」
「慌てなくていいよ。来月のお小遣いまで待って、余裕が出たらでもいいし」
「そういうわけにはいきません!すぐに払いに来ます」
「そっか。じゃあ、待ってるね」
「はい、ありがとうございました」
花屋が手を挙げてあいさつし、さやかが頭を下げて、店を出て行った。花屋は、さやかの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。するとすぐに「あ、お兄ちゃーん」という声が聞こえたので、安心して店に入った。

『また歩きつづける
  
                もう立ち止まらない』


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