「オレンジペコー」第4話。

 あれから、五年が経った。

「おかあさん、どーぞ」
「ありがとー」
小さな女の子が、自分で切り分けたロールケーキを美雪に差し出した。切り口は雑で、いびつな形だったが、美雪は笑顔で受け取った。女の子も笑顔になった。
 聡と美雪の間に生まれたこの子は、名前を「ちひろ」といった。美雪は、昼の三時になると必ず、ちひろとおやつの時間を楽しむ。ちひろが、ニコニコ顔で母親を見つめた。
「ちひろちゃん、どうしたの?」
「おかあさん、幸せそう」
そう言うと、「んふふー」と笑った。美雪も「ふふふ」と笑いながらちひろに顔を近づけた。
「幸せよ~。お母さん、ちひろちゃんと美味しい紅茶を飲んでる時がものすごく幸せよ」
そう言われて、ちひろも「ふふふ~」と顔を近づけるマネをした。
 美雪は、ちひろを身ごもってから、それまで勤めていた職場を退職し、家に入っていた。将来的には復帰も考えてはいるが、しばらくはそのつもりはない。

 郁実の身の回りは、変化が多かった。まず、父親が死んだ。はじめから病気もあり、それに加えて日々の多量のアルコールの摂取で、体はボロボロだったらしい。父親が死んでも、郁実は悲しむことはなかった。父親の亡骸を見て、「そうか、死んだか」と一言言っただけだった。葬儀も、簡素に済ませた。母親は参列しなかった。知らせた手紙の返事で、「こっちに来る?」という誘いがあったが、郁実は断った。

 アクセサリー職人の師匠は、海外へと移住していた。外国で、自分の力を試すためだ。年老いているのに、エネルギーにあふれた人だと郁実は思った。
「お前に教えることはもうなんもないよ」
「そうでしょうか。まだまだ教わりたいこともあったんですが…」
「っていうか初めから何も教えてないよ。お前が勝手に学んでたんだよ。だから、お前はもう俺がいなくても大丈夫」
そして最後に「がはは」と笑った。郁実との最後の会話はこんな感じだった。

 そして、自分の店である『フラワーショップいくみ』を開いていた。高校を卒業した後、花屋のバイトに、深夜の工事現場のバイトを加えて資金を貯め、約三年で店を開く事ができた。バイト先だった花屋の店長から、暖簾分けしてもいいという話ももらったのだが、自分の二本の足でしっかりと立って生きていきたいという気持ちから、その話は断った。しかし店を開くにあたっては、何度も相談に乗ってもらった。
 そして、その花屋のカウンターには、郁実がデザインしたアクセサリーも並べていた。それは、女性客を中心に、割と人気だった。 

 「おい花屋!やってるか!」
店に、元気のいい客がやってきた。見ると、聡だった。
「あぁ、聡さん」
「おぉ~、いい感じじゃねぇか、店!」
「はい、おかげさまで、割と順調です」
「良かったなぁ。アクセサリーも置いてんだな」
「はい、こっちも、割と売れてくれて、ありがたい限りです」
「ちゃんと夢を両方叶えたんだな」
「はい、一応」
そう言って、お互い、「にっ」と笑いあった。
「…で、今日はどうしたんすか?それだけ言いに来たわけじゃないでしょ?」
「おぉ、そうだ、忘れてた!なぁ、これ見てくれよ!」
「なんですか?」
「じゃあ~ん」
と言って、聡がカバンの中から雑誌を取り出した。表紙には、「orange pekoe」と書かれていた。
「オレンジペコー?」
「そう!『オレンジペコー』!俺の雑誌だ!」
「え、聡さんの雑誌!?」
「そうなんだよ!ついに雑誌を一冊任せてもらえるようになったんだよ!」
「えーっ!本当ですか!すごいですね!おめでとうございます!」
「ありがとう!ついにだよ~。やっとだよ~」
「見てもいいですか?」
「おう!見てくれよ!」
郁実がパラパラとページをめくった。
「へぇ…今までにない感じの男性情報誌っすね」
「そうなんだよ!それを狙ったんだ。男性の情報誌っつったら、色っぽい話題とか、車とかバイクとか、グルメも、がっつりな男メシの紹介ばっかりだろ?だから、俺が目指したのは、男性版、女性情報誌よ」
「男性版、女性情報誌」
「そ。グルメも、おしゃれなカフェとか、上品なイタリアンとか。ファッションもキレイな感じのものを紹介してさ」
「へぇ~、いいですね。…あ、このページ、いいなぁ」
郁実が見ていたのは、トレーニング特集だった。
「そう!それもさ、ムキムキのマッチョになるって感じじゃなくて、キレイな、洗練された体を目指す特集にしたのさ。結構、そういう体に憧れる男って多いだろ?」
「なるほど、いいとこに目つけましたね!」
「だろぉ~。これは売れるって、俺は確信してるね!」
「はい、俺も買いますよ」
「あぁ、いいよ。それはやる」
「いいんですか?」
「もちろん。ただ、次の号からよろしくたのむよ」
「はい、もちろんです」
そう言って、郁実が再び『オレンジペコー』に目を落とした。
「美雪さん、喜んだでしょう」
「んー?」
「『オレンジペコー』って、美雪さんの好きな紅茶ですもんね」
そういうと、聡がニヤッと笑って、「あぁ。俺にとっての、最高の武器だ」と言った。
「武器?」
「あぁ。家族を守るためのな」
「あぁ、昔、言ってましたね。仕事は武器だって」
「あぁ。雑誌を持つのは、俺の夢だったからな。だから俺は、このプロジェクトを最優先に動かしたんだ。早く、安心させたかったからな」
「まぁでも、ずいぶん時間かかっちゃったけどな…」と聡が頭をボリボリとかいた。
「いやいや、すごいですよ」
郁実が笑った。聡も、「ありがとう」と笑った。
「この武器を持って、俺はあいつらを守り続けるよ」
そう言った聡の横顔に、男らしさを感じた。

 「すいません」
夕方。郁実が店の前に広げた花に水をやっていると、高校の制服を着た女の子が話しかけてきた。
この年齢の女の子が店に来るのは割と珍しい。女の子は、学生カバンと、自分の体よりもだいぶ大きい、細長い布の包みを背負っていた。
「はい、いらっしゃい」
女の子が「えっと…」と話し出した。
「あの、お母さんから、明日お墓参りに行くから、そのお花買ってきてって頼まれて。なので、そういうのに合うお花が欲しいんですけど」
「お墓参りですね。わかりました」
「じゃ、お店の方に」と郁実が促した。女の子も「はい」と後に続いた。
「おぉっと」
女の子の持っていた細長い布の包みが店の入り口でひっかかりそうになり、郁実が「大丈夫ですか?」と声をかけた。女の子が慎重に店の中に入れ、「ここ、立てかけといてもいいですか?」と聞き、「もちろん、どうぞ」の返事を聞いて、店の壁に包みを立てかけた。
「その、亡くなった方…」と郁実が言うと、「おばあちゃんです」と女の子が答えた。
「おばあちゃんの、好きだった色とか、わかりますか?」
「紫の着物をよく着てました」
「紫ですね。ちなみに、ご予算はどれぐらいで…」
「お母さんから、千円預かってきてます」
「かしこまりました」
そういうと、郁実は椅子を一脚持ってきた。
「今から見繕いますので、少々お待ちください」
「あ、ありがとうございます」と、女の子が椅子に座った。女の子は、背筋をピンと伸ばした、とてもキレイな姿勢だった。郁実は紫の花を中心に、予算にあう内容で花を束ねた。それを待ってる間、女の子はずっと店の花を眺めていた。
「お待たせしました」
郁実が、女の子に小さな花束を持ってきた。女の子がそれを見ると「うわぁ」と笑った。
「すっごくキレイですね」
「ありがとうございます」
「でもこれ、千円で足りますか?」
「はい、もちろん」
「よかったぁ」
そう言って、女の子はやわらかく笑った。
「じゃあ、こちらでお会計を…」
と、郁実がカウンターに促した。「あ、はい」と女の子も続いた。
 すると、郁実の後ろから「うわぁ!」という声が聞こえた。おどろいて振り返ると、女の子が、郁実のつくったアクセサリーを指さして「これ、なんですか!?」と興奮気味に尋ねた。
「これ、自分でつくったやつ、お店に並べてるんですけど…」
「え、自分で作ったんですか!?」
「はい」
「お花屋さんが!?」
「はい」
「すごい!」
さっきまでの礼儀正しい印象と違い、女の子らしくはしゃいで、目がキラキラと輝いていた。
「これ、売ってるんですか!?」
「はい、一応」
「へぇ~、すごい可愛い」
女の子の言ったその言葉で、昔、師匠に「お前のデザインはキレイすぎる」と言われたのを思い出し、苦笑いした。
「アクセサリー、好きなんですか?」
「はい!すっごく好きなんです!」
「よかったら、つけてみますか?」
「いいんですか!?」
「もちろん」
と、郁実は作った花束をいったん置いた。
「どれですか?」
「この、小さいお花のついたやつ…」
「これですね。どの指ですか?」
「えっと…」
女の子が、自分の両手を前に出して十本の指を眺めた。
「左手の小指…がいいです」
「小指ですね。サイズわかりますか?」
「あ~、ちょっと、わかんないです」
「ちょっと、いいですか?」というと、女の子の左手を取り、小指を握った。そして、「だと…」と指輪を選んだ。
「これちょっとはめてみてくれますか?」
と指輪を渡した。女の子が渡された指輪を小指にはめてみると、ぴったりだった。
「すごーい、わかるんですか?」
「昔、とあるきっかけで出来るようになったんです。大した特技じゃないですけど」
「そんなことないです!すごいですよ!」
「いやいや…」と、郁実は照れくさそうにした。
「これ…すっごくいいです」
女の子が指輪をつけた左手を眺めながら言った。郁実が「ありがとうございます」と返した。
「あ!」
と、女の子が嬉しそうにした。
「来週、大好きなアーティストのライブがあるんです!そのライブにつけていくことにします!」
「おぉ、いいですね、そういうの。俺も嬉しいです。ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ!」
と女の子は財布を取り出した。
「あ…」
女の子は、アクセサリーの値札と自分の財布の中身を見比べると、残念そうな声を出した。
「あの…やっぱり、ごめんなさい。お小遣いが二十日に貰えるので、そしたら、買いに来ます」
「あぁ、そう?」
「はい」
郁実がカレンダーを見た。今日は八日だ。ライブは来週。間に合わない。
「ん~、いいですよ。持って行っちゃっても」
「えぇ!?」
「うん。お小遣いまで待ってたら、ライブに着けていけないじゃないじゃないですか。お金は、お小遣いが出てからでいいですから、今日持って帰って下さい」
「いいんですか!?」
「はい」
そう言って、郁実は笑った。女の子も、笑顔になった。
「私、このままお金払いに来ないかもしれませんよ?」
女の子に冗談っぽくそう言われ、郁実は「ははは」と笑った。
「君は、そんなことしませんよ」
「なんでわかるんですか?」
「わざわざお母さんのおつかい引き受けて、お墓参りのお花買いにきて、おばあちゃんの好きな色まで覚えてるような優しい子が、そんなことしません」
花屋がそう言うと、女の子が「にへっ」と笑った。
「あ、じゃあ…」
と、女の子が一輪百円の赤い花を指さした。
「これ、ください」
「いやいや、無理しないでください」
「いや、欲しいんです!嬉しい日にはお花を買うんです!」
花を買うのに、こんなに素敵な理由は他にないな、と思い、郁実は嬉しくなった。
「ありがとうございます。じゃあ、お包みしますので、少々お待ちください」
郁実が、女の子が選んだ赤い花を包んでいる間、女の子はずーっと、指輪をはめた小指を眺めて笑っていた。その笑顔を見て、郁実は幸せな気持ちになった。その時、

 「ぎゅるるるるぅぅぅ…」

突然、女の子のお腹が鳴った。郁実が、思わずそっちに目を向けてしまい、二人の目が合ってしまった。彼女の顔がみるみる赤くなった。
「すいません、お腹すいちゃって…」
女の子が自分のお腹をなでた。郁実が「…あっ」と言い、裏に入っていった。
「これ、よかったら食べてください」
郁実が、コンビニのシュークリームを差し出した。
「いえいえ!申し訳ないです!」
「いや、賞味期限今日までなので、良かったら、食べてください」
「…いいんですか?」
「どうぞ」
「じゃあ、いただきます」
女の子がシュークリームをほおばった。幸せそうな顔だった。郁実は「…そうだ」と言い、また、裏に入った。
「あの、よかったら、どうぞ」
郁実が、お盆の上にコーヒー二つと、お茶菓子を乗せて持ってきた。
「えー、うれしい。いいんですか?」
「俺も、コーヒー飲みたかったんで、付き合ってください」
と、郁実がコーヒーをすすった。
「…あ、コーヒー、平気ですか?」
「はい、大好きです」
「それなら、良かった」
女の子が、コーヒーに手を伸ばした。お茶菓子に、ビスケット、チョコレート、マシュマロなど、甘いものがたくさん並んでいた。それを見て「ふふ」と笑った。
「…どうかしましたか?」
「甘いもの、好きなんですか?」
そう言われて、郁実は恥ずかしくなり、「…はい」と小さく答えた。
「ふふふ」と女の子がまた笑った。
「…なんですか?」と郁実も笑った。
「いや、ちょっと意外で」
「…顔に似合わず、的な?」
「…はい」
二人で笑った。笑いながら「やっぱりね」と郁実が言った。「あ、でもコーヒーは似合いますよ」と女の子も笑いながらフォローした。

 コーヒーを飲みながら話していると、だんだんと打ち解けてきた。女の子は、名前を「さやか」といった。
「それ、なに?」
郁実が、さやかが壁に立てかけた細長い布の包みを指さした。
「あぁ、弓です」
「ゆみ?」
「部活で、弓道やってて」
「へぇ~、かっこいい」
これが、彼女の姿勢の良さと、礼儀正しさの正体だと気づいた。
「弓道の弓ってそんなに大きいんだね」
「二メートル二十センチあります」
「持ち運ぶのも大変そうだね」
「はい、電車とか、本当に気を付けないと」
「あ~、満員だったら最悪だね!」
「そうなんですよ!」とさやかが郁実の顔を指さして笑った。郁実も笑った。
「お花屋さんは、何かやってなかったんですか?」
「スポーツ?」
「はい。格闘技とか、イメージ的にはそんな感じですけど」
「いや、スポーツは何も。高校の頃は、花屋のバイトと、アクセサリー習いに行ってたから」
「そう、ですか…」
さやかは、郁実の捲った袖から出ている左腕に見えた傷跡が気になっていた。あの位置に一つや二つでなく、複数のキズがつくのは、格闘技でもやっていたのだろうと予想していたからだ。しかし、そうではないと言われ、わからなくなった。「不良だったのか?」という思いが頭をかすめたが、「不良が花屋でバイト…?」となり、頭の中に疑問がたくさん浮かんだ。
「どうかした?」
「はい?」
「いや、なんか、すごく険しい顔してたから」
「あぁ、いや、なんでもないです」とさやかが笑ってごまかし、郁実も「面白い子だなぁ」と笑った。

 「すいません、長居しちゃって」
さやかが荷物を持ち、立ち上がった。外は、すっかり暗くなっていた。
「いやいや、俺も楽しかったから。また、時間ができたらおいで」
「いいんですか?」
「うん。コーヒー淹れて待ってるよ」
そう言うと、さやかが「はい!楽しみにしてます!」と笑った。
「それじゃ、またね。気を付けて帰るんだよ」
「はい、ごちそうさまでした」
郁実が手を振ると、さやかは頭を下げてあいさつした。

 次の日の夕方。美雪が、郁実の店の前をたまたま通りかかった。
「あら?」
すると、店の前をうろうろするさやかをみつけた。さやかは、店の中の様子を伺い、少し、困っているようにも見えた。
「こんにちは」
美雪がさやかに話しかけた。さやかは「あ、こんにちは…」とお辞儀をした。
「お店に用事?」
「お店っていうか、お花屋さんに、ちょっと…。なんですけど、今日お休みみたいで…」
店には「closed」の札がかかっていた。
「ちょっと待ってね」と、美雪が店の中を覗いた。
「…多分ね、配達に行ってるんだと思う」
「配達?でも、お休みって…」
「あの子、ちょっと遠めの配達は、休みの日に行くのよ。時間かかっちゃうから」
「…でも、それじゃ、お休みにならないんじゃ…」
美雪が、「でしょー?」とさやかの顔を指さした。
「私もね、そう言ったのよ。『休みの日はちゃんと休みなさい』って。なのにあの子、『花は急に必要になるときがあるから、あんまり店を閉める日を増やしたくない』って、バカよねー」
さやかは「あの子」という言い方が気になった。
「あの子?」
「あぁ、あの子が君ぐらいの年の時からの知り合いだから、つい『あの子』って呼んじゃうのよ」
「そういえば、おかしいわね」と美雪が笑った。あのイカツくて強そうな花屋が『あの子』と呼ばれている事がおかしく、さやかも笑った。
「で、用事ってどんなのかしら?急ぎなら、私が伝えてもいいけど…」
「あ、お礼が言いたくて…」
「お礼?」
「はい。この指輪のことをお礼言いたくて」
「指輪。…あら、あの子が作ったやつじゃない」
さやかが指輪の代金を待ってくれていることを説明した。
「あ、そうなの。あの子らしいわねー。お金払いに来なかったらどうするのよ」
「はい、私もそう言ったんですけど、『君はそんなことしないから』って」
「言いそうだわ」と、美雪が笑った。
「なので、お礼持ってきたんです。お花屋さん、甘いものが好きだって言ってたので…。迷惑でなければ、渡してもらってもいいですか?」
「そっか…」と美雪が、一度手を伸ばしかけて、ひっこめた。
「それ、腐る?」
「いえ…、クッキーなので、日持ちはします」
「じゃあ、面倒でなければ、直接渡してあげてくれる?その方があの子、喜ぶと思うから」
「はい、そうします。私も、直接お礼言いたいですし」
「うん。そうしてあげて」
そう言って笑った美雪を見て、さやかは「きれいな人だな」と思った。そう思っていたら、美雪が、「…ねぇ?」と、時計を見ながら言った。
「はい?」
「ちょっと、時間ある?」
「はい、ありますけど…」
「多分、あの子そろそろ帰ってくると思うのよ。良かったら、一緒にお茶でもしながら待たない?もちろん、ごちそうするから」
美雪に誘われて、さやかは嬉しかった。
「え、いいんですか?」
「もちろん。娘も、おじいちゃんとおばあちゃんに預けてるから安心だし。それに、ちょっと、興味あるのよ。若い子から、あの子がどういう風に見えるのか」
「私も、聞きたいです!あの人の昔の話とか!」
「いいわね。じゃあ、行きましょうか」
そう言って、二人で近くのファミレスに入った。ファミレスに向かう道すがら、お互いに自己紹介をした。さやかは、「美雪」という名前を聞いて、似合ってるなと思った。

 「いっぱい食べる」

「どんな人なんですか?」とさやかに聞かれて、美雪が最初にこう言った。二人は、ガラス窓から花屋が見える席に座り、美雪はチーズケーキと紅茶を、さやかはチョコレートパフェとコーヒーを注文し、花屋の様子をうかがっていた。
「いっぱい?」
「うん。とにかく、いっぱい食べる」
「どれぐらい…」
「う~ん、マンガかなってぐらい」
「…孫悟空」
「…そうね。実写版よ」
さやかはクッキーをもっと買っておけばよかったと後悔した。
「その指輪、可愛いわね」
美雪がさやかの小指を指さした。
「はい、ものすごく可愛くて、一目で気に入って!」
「ね、あの子のアクセサリーって、キレイで可愛いわよね」
「はい!あの人の見た目からは想像できないぐらい」
二人で、「ふふふ」と笑った。
「これも、あの子が作ったのよ」
美雪が左手を出した。
「これって、結婚指輪ですか?」
「そう。あの子、私の指を握っただけでサイズわかっちゃうのよ」
「あ…」
さやかは、これが花屋があの時言っていた「あるきっかけ」だとわかった。

 「あの人って優しいですよね」
「うん、優しいわね。優しいしね、強いのよ」
「強い…」とさやかがつぶやいたのと同時に、美雪が話し出した。
「あの子の左腕に、傷跡があったのは気付いた?」
ずっと気になっていた話題が出てきて、さやかはすぐに食いついた。
「あの、ナイフで切られたみたいな…」
「そう。あの傷」
「正直、すごく気になってたんです。あの…」
「うん?」
「もしかして、昔、不良だったとか…?」
さやかが美雪の目を覗き込んだ。美雪は、「あっはっは!」と笑って右手を横に振った。
「ないない。あの子が不良だなんてない」
「ですよね。そういう感じじゃないですもんね」さやかは、心の底から安心した。
「うん。あの傷はね、私を守ってくれたの」
「え?」
美雪が、あの事件の事をさやかに話した。さやかは「へぇー、すごい」と目を丸くした。
「血だらけになってる腕を見て私は驚いてたんだけど、あの子は平然と『大丈夫ですよ』って」
「本当に強いんだ、お花屋さん」
「うん、ものすごく強いわ、あの子は」
「…確かに、あの人の泣いたところとか、想像できないかもですね」
「あー…うん、そうね。泣かないわね」
「一回、面白い事言ってた時があってね、」と美雪が話し出した。さやかが、「はい」と話を促した。
「昔、そういう話になって、その時に私が『そうよね、男は、人に涙は見せないわよね』って言ったの。そしたらね、あの子、『それは違う』って」
「違うんですか」
「そうなの。あの子いわく、『人に涙を見せないってことは、独りで泣くってこと。独りで泣くってことは、自らに涙を許すって事。男はそんなことしちゃいけない』って。
「うわぁ、お花屋さんっぽいですね」
「うん。だから、『じゃあ、男はいつ泣くの?』って聞いたら、その返事が面白くてね」
「はい」
「『自分より強い男の人か、優しい女の人に、泣いていいよって言われた時だ』って」
「へぇ~、なるほど」
「ね、面白いでしょ」
「はい」と、さやかは笑った。
「一度、あの子がものすごく落ち込んだことがあったのね」
「お花屋さんでも落ち込むんですか」
「うん。でもね、それでもあの子は泣かなかった。決して自分では涙を許さないのよ。本当に強いわ」
「…孫悟空」
「…そうね、実写版よ」
そう言って、二人で笑った。
「…美雪さんは、言わなかったんですか?」
「え?」
「その、お花屋さんが落ち込んだ時。『泣いていいよ』って」
「…私は、優しくないもの」
 そういえば、あの、雨の日の空き地での話は、あれから一度もしていないな、と美雪は思った。あの日から一週間程、なぜか郁実と顔を合わさなかった。朝の駅へ向かう道でも、郁実の姿は見なかった。その後、しばらくして郁実と話した時には、いつもと何も変わらない郁実だった。落ち込んでいるような雰囲気などなかった。その郁実を見て、「やっぱり強い子だ」と思ったのを覚えている。しかし、あの日のことは、心に深く、残っていた。そんなことを考えながら、美雪が紅茶をすすった。その仕草も、さやかには美しく見えた。
「なんでそんなに強いんですかね、お花屋さん」
「ん?んー…私の旦那が、まだ彼氏だったころ、あの子が言ってたらしいんだけどね」
「はい」
「『強くないと、自分の平穏を守れない』って言ってたらしいわ」
「平穏」
「うん。まぁ、ちょっと、育った家が普通の家じゃなかったのよ」
「はぁ…」
「詳しくは知らないんだけど、あの子のお父さんは病気のある人だったの」
「病気ですか…」
「うん。詳しくは知らないんだけど、心の病気だったらしくてね、働きもしないでお酒ばっかり飲んでたみたい」
「へぇ…」
「お父さんは、あの子が高校を卒業するぐらいの時期に亡くなっちゃったんだけどね」
「そうなんですか…」
「でもやっぱり、あのお父さんと二人で暮らすのは、辛かったのかもね」
「二人で?」
「うん。あの子のお母さんは、あの子が中学生の頃に、妹さん連れて実家のある田舎に帰っちゃったの」
「そうなんですか…。お花屋さんはついて行かなかったんですか?」
「うん、詳しくは知らないんだけど、事情があってついて行けなかったみたい」
「事情…」
「うん。詳しくは知らないんだけどね。でもあの子は、自分で『ついて行かなかった』って言ってたわ。お母さんに『負担かけたくない』って」
「お花屋さんらしいですね」
「うん、詳しくは知らないんだけど…」
と言ったところで、美雪の言葉が止まった。さやかが美雪の目を見た。
「いや、私、あの子に関しては全部、『詳しくは知らない』なぁと思って」
そう言って美雪が微笑んだ。少し、寂しげな笑顔だった。

 「おかわり、いらない?」
「え、いいんですか?」
「いいわよ。コーヒー?紅茶?」
「じゃあ、イチゴパフェ…」
おずおずとそう言うさやかを見て、なんだこの可愛い生き物は、と思った。
「甘いの、好きなの?」
「…はい。こないだも、お花屋さんでたくさん食べちゃいました」
「あの子のところで?」
「はい。コーヒー出してくれて」
「へぇ~。『またおいで』って言ってなかった?」
「言ってくれました。お花屋さん」
「それ、遠慮しないで、本当に行ってあげて」
「…いいんですかね?」
「うん。多分、ものすごく喜ぶと思う」
「じゃあ、遠慮しないでまた遊びに行きます」
「うん、そうしてあげて」

 「…あ、帰ってきたみたい」
花屋の駐車場に一台のバンが現れ、中から郁実が出てきた。
「…あ、ほんとですね」
「良かったわね、待ってて」
「はい、ありがとうございました」
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
二人でファミレスを出て、花屋に向かった。

 「郁実ー!」
美雪が郁実を呼んだ。郁実が振り返り、「あー、美雪さん!」と言ったところで、さやかもいることに気づき、その組み合わせに「ん?」という表情をした。その表情に、美雪とさやかが顔を合わせて笑った。
「…え、知り合いですか?」
「さっき仲良くなったのよねー」美雪が笑顔でそう言い、さやかも「はい」と笑顔で返した。郁実も「へぇ~」と笑った。
「あの、お花屋さん」
「ん?」
「これ、受け取ってください。指輪のお礼です」
さやかがクッキーの入った袋を渡した。郁実が「ありゃりゃ、気にしなくていいのに~」と言ったあと、「でも、ありがとう。ありがたくもらっとくね」と受け取った。美雪が「それ渡すために待っててくれたのよ」と言った。
「そうなんだ、待たせちゃってごめんね。ありがとう」
「あの、クッキーなんです」
「ほんと?やったぁ」
「確か、十八枚入りだったと思うんですけど」
「うん」
「足りますか?」
「うん?」
美雪が、大きな声で笑った。郁実は「何か余計な事吹き込んだな」と思った。

 さやかは、帰り道に古本屋に寄り、「ドラゴンボール」を十六冊買って帰った。
「実写版かぁ…」
家に帰り、ご飯を食べてお風呂に入った後、布団にもぐりこんだ。枕元に、買ってきた「ドラゴンボール」を積み上げて、一巻から読み始めた。孫悟空には、たくさんの仲間がいた。しかし、その仲間の中で、悟空の生い立ちや、戦いの中での気持ちの変化を、詳しく知っている仲間は、どれだけいるのだろうと思った。
 悟空は、山に捨てられていたところを、一人のおじいさんに拾われ、育てられた。物語の途中、そのおじいさんの幽霊と出会い、涙を流す姿があった。だが、多くの仲間たちはその涙は知らない。仲間たちが知ってるのは、強く、たくましい悟空だけだ。
『オラ、もっと強くなりてぇ』
孫悟空は、しきりにこの言葉を言っている。そして、強い敵と闘う度に『ワクワクすっぞ』と言う。しかし、お花屋さんは『強くなりたい』と思ったことがあるのだろうか。悟空のように、戦う事を楽しいと感じ、『強さ』そのものを求めた事があったのだろうか。
「自分が強くなければ、自分の平穏を守れない」
お花屋さんにとって戦いは、孫悟空のように楽しいものではなく、辛く、苦しいものだったのではないだろうか。
「『強くなりたい』かぁ…」
そう呟いて、「ドラゴンボール」を積み上げていた山に手を伸ばした。…が、次の一冊がなかった。
「…ない!」
「ドラゴンボール」の十六巻は、ボロボロになって倒れている孫悟空に、ピッコロ大魔王が上空から攻撃を放っているところで終わっていた。
「もう、いいところなのに…!」
明日は続きを買って来ようと決め、さやかは眠りについた。

 「こんにちはー」
「こんにちは」
郁実の花屋に、美雪とちひろが来た。ちひろは、スケッチブックとクレヨンを持っていた。
「あ、いらっしゃいませ」
「いらっしゃい」とちひろに微笑みかけた。
「どうしたんですか?」
「ちょっとね、お願いがあるの」
「お願い?」
「ほら」と美雪がちひろの背中を両手で軽く押した。
「お花屋さん、お花見せてください」
ちひろが礼儀正しく言った。
「お花が見たいの?」
「うん!」
「あのね、この子、絵を描くのが好きなの。それで今度、『こども絵画コンクール』に出してみようと思って。それで、なに描きたいか聞いたら、『お花屋さんのお花が描きたい』って言うのよ、いいかしら?」
「えー、本当ですか!」
花屋の郁実には、ものすごく嬉しい話だった。
「ちひろちゃん、お花の絵描いてくれるの?」
「うん!いいですか?」
「もちろん!どんなお花がいい?」
郁実がちひろの目線までかがんだ。
「お花畑!」
「お花畑?」
「お花畑!」と、ちひろが両手を広げた。ちひろの両手の先には、店の前に広げたたくさんの鉢植えの花があった。小さな女の子は、これを「お花畑」と表わした。大人二人は「なるほどなぁ」と思った。
 郁実が小さい椅子を持ってきて、そこに座ってちひろが絵を描き始めた。美雪がその隣でちひろを見守り、郁実は、店の中から様子をうかがっていた。ちひろは、ものすごい集中力で黙々と絵を描いた。花屋に客が来ても、そっちに気を取られることなく、小さな手を動かし続けた。
 途中、さやかが花屋に来た。ちひろの隣にいる美雪を見つけ、笑顔で会釈をすると、美雪も笑顔で手を振った。
「あれ、美雪さんの娘さんですか?」
「うん、そう。ちひろちゃん」
「へー、かわいい」
「うん。美男美女カップルの子だからね」
「旦那さん、カッコイイんですか?」
「うん。めちゃくちゃ爽やかでハンサム。背高いし」
「多分、その弓と同じぐらい」と、郁実がさやかの弓を指さした。
「いや、それは言い過ぎでしょう」とさやかが笑った。
「ははは、それは言い過ぎだけど、弓より…四十センチ低いぐらいじゃないかなぁ?」
「へぇ~。羨ましいですか?」
と、さやかが弓を手に持ち、ニヤニヤしながら郁実と弓を交互に見た。
「やめろ、測るな。俺の身長を測るな」
二人が笑った。
「ちひろちゃん、お花の絵描いてるんですか?」
「そう。コンクールに出すんだって」
「すごく集中して描いてますね」
「ね。絵描くの、よっぽど好きなんだろうなぁ」
郁実がコーヒーをさやかの前に置いた。
「あ、ありがとうございます」
「…あの二人も飲むかな?」
「持って行きましょうか?」
「うん、お願い」
郁実が紅茶とホットミルクを置いたお盆をさやかに渡した。お盆を運ぶさやかに、郁実が椅子をもう一脚持って続いた。美雪が小声で「ありがとう」と言いながらさやかからお盆を受け取ると、郁実が「ここ置いてください」とイスを美雪の隣に置いた。郁実とさやかが、ちひろの背中から絵をそーっと覗きこんで見た。
「うわ!」
「すごい!上手!」
ちひろの絵はものすごく上手だった。それまで小声で話していたのに、思わず大きな声を出してしまう程だった。色とりどりのお花畑は、繊細に、かつ、いきいきと描かれていた。二人の声に、ちひろが「えへへー」と笑顔で振り向いた。天使の笑顔だった。「もう完成?」とさやかが聞くと、「もうちょっとー」とちひろが絵に向き直り、真剣な顔になった。その様子を見て、郁実が「何かあったら言ってください」と美雪に小声で言い、さやかと店の中に入った。

 「できたー」
「できた?」
美雪が絵を覗き込み、「上手に描けたわねー」と褒めた。親のひいき目なしに、上手だと思った。ちひろは「えへへ」と照れくさそうに笑った。
「お花屋さんに見せに行こっか」
「うん!」
 二人で店の中に入ると、ちひろは「はい!」と、郁実ではなく、さやかに絵を渡した。「見せてくれるの?」とさやかが受け取ると「うん。えへへ」と照れくさそうに笑った。
「これ、ありがとね」と美雪がお盆を郁実に渡した。
「もう一杯どうですか?」
「うん。いただくわ」
郁実がコーヒーを二人分、紅茶を一人分淹れ、ミルクを温め直した。ちひろは、さやかにピッタリくっついて「ここ、きれいだね」「ここ、上手だね」と褒められる度に「えへへ」と嬉しそうに体をくねらせていた。
 美雪が、紅茶を一口すすった。
「やっぱり、オレンジペコーは美味しいわ」
そう言って、微笑んだ。
「それは、良かったです」
郁実も、コーヒーをひと口飲んだ。
「郁実は飲まないの?」
「オレンジペコーですか?うん…やっぱり、コーヒー飲んじゃいますね」
「こんなに美味しいのに~」
美雪がカップを両手で持ち、「ふ~」と息を吹きかけた。美雪の手の中で、琥珀色の波がキラキラと輝いた。
郁実が「…あ、そういえば」と声を出した。
「オレンジペコーって、本当は味の名前じゃないって知ってました?」
美雪が「…そうなの?」と返した。その返事に満足しながら「そうなんですって」と返事をした。
「…でも、私いつも『オレンジペコー』って名前の紅茶買ってるわよ?」
「これですよね?」と郁実が、紅茶のパッケージを持ってきた。美雪のお気に入りのブランドのものだ。
「そうそう、これこれ。ほら、『オレンジペコー』って書いてあるじゃない」
「そうなんですけど、本当はお茶の葉の、等級の名前らしいです」
「等級?」
「等級って言っても、決してどれが価値が上で、どれが下とかではなくて…」
「えっと…」と郁実が手帳を取り出した。それを、美雪も覗き込もうとしたので、郁実は手帳を開いてカウンターの上に置いた。手帳の見開きページが、細かい説明文や手書きの葉っぱの絵、何かの図などで真っ黒に埋まっていた。
「まず、お茶の葉のサイズで、大きい順に、フルリーフ、ブロークン、ファニングスの三つに分かれてて…」
「ふんふん」
「オレンジペコーはフルリーフをさらに細かく、葉の若さで分けた分類の一つみたいですね」
「…簡単に言うと、オレンジペコーは葉の形の名前って事かしら?」
「一言で言うなら、そんな感じですね」
「へぇ~味の名前じゃなかったんだ」
「本来は、そうみたいです。でも、このブランドみたいに『オレンジペコー』って名前で売ってるブランドもあって、その場合、それはセイロンティーのブレンド茶である事が多いんですって」
美雪が「へぇ~」と感心した。
「よく知ってるのね」
「いやいや、知りませんでしたよ、何も。こないだ、紅茶屋さんに行って教えてもらいました」
「教えてもらったの?わざわざ?紅茶屋さんに行って?」
美雪が、からかうように笑いながら郁実の目を見た。
「いや、わざわざっていうか、お茶の葉買うときについでに教えてもらっただけで…」
「でも、自分じゃ飲まないのよね?」
「いや、それは、そうですけど…」
そう照れくさそうにする郁実を見て、美雪は「なんだか懐かしいな、この感じ」と思っていた。
「それ、ちょっと写メらせて」と、美雪がスマホを構え、郁実が手帳を美雪の見やすい位置に動かした。
カシャッ。
写真を撮り終わると、美雪が手帳をまじまじと見た。
「へぇ~、オレンジペコーはまだ若い葉なのね」
「そうみたいですね」
茶葉は、若い順に、オレンジペコー、ペコー、ペコスーチョン、スーチョンと名前がついていた。
「なんでどれも、響きの可愛い名前なのかしら」と美雪が笑った。郁実も「ですね」と微笑んだ。

 「…あれ?」
郁実が店内を見回した。美雪も「ん?」と郁実の視線を追いかけた。
「オレンジペコーとペコーがいないです」
ちひろとさやかの事だ。美雪も、「本当ね」とあたりを見回し、そのあと、外を覗き込んだ。
「あ、いたいた」
「ん?」
郁実も外を見ると、ちひろとさやかがお花畑の周りを走り回って遊んでいた。
「なんか、懐いてますね」
「ね。嬉しいんだと思う」
「ですね。楽しそうです」
「兄弟いないからねー。お姉ちゃんみたいに思ってるんじゃないかしら」
「お姉ちゃんか…」郁実がつぶやいた。
「俺にとっての美雪さんみたいな感じですかね?」
美雪が、「ははっ」と笑った。その笑顔のまま、郁実の目を見た。
「郁実にとっての私は、さやかちゃんにとっての郁実だと思うわよ?」
「えぇ?」
「うーん…」と郁実が腕を組んだ。
「いや、ちょっと違うんじゃないですかね」
「ふふふ」と美雪が笑った。
「いや、多分、ほとんど一緒よ」
「いや…?」
そう言う郁実の頭を、美雪がぺしっと叩いた。
「いった!何で叩くんですか!」
そう言う郁実を無視して、美雪は「ちひろ、帰るよー」と、外のちひろを呼んだ。ちひろが「はーい」と返事をし、さやかと手をつないで美雪の元へ来た。
「さやかちゃん、ありがとね」
美雪が、さやかの手からちひろの手を受け取った。
「いえいえ。ちひろちゃん、またね」
「おねーちゃん、また会える?」
「うん。また遊ぼ」
「うん!」
 「ばいばーい!」
ちひろは、美雪に手を引かれながら、何度もさやかに手を振った。さやかも、見えなくなるまで手を振り返した。

 「今日、ごめんね。大変じゃなかった?」
郁実がコーヒーを出した。
「全然。私も楽しかったです。ちひろちゃん、いい子だから大変な事なんて何もなかったですよ」
「ありがとうございます」とさやかがコーヒーをすすった。
「それなら良かった。なんか、よっぽど嬉しかったみたいでさ。あんなにはしゃいでるの初めて見たよ」
「うれしい?」
「うん。一人っ子だから、お姉ちゃんが出来て嬉しかったんじゃないかって美雪さんが言ってた」
「それは、私も同じですよ」
「同じ?」
「私にとっては、美雪さんがお姉ちゃんで、ちひろちゃんは妹です」
「じゃあ、さやかちゃんは次女だね」
「ですね」とさやかが笑った。
「おばあちゃんがご褒美くれたのかなぁ…」
「ん?」
「私、昔っから女兄弟が欲しくて。お兄ちゃんはいるんですけど、一個しか違わないから、友達みたいな感じだし。やっぱり、姉でも妹でもいいから、女の兄弟が欲しくて。親にずっと、『お姉ちゃんか妹くれ』って言ってたんです」
「ご両親、困っただろうなぁ」
「はい、困りながら、『無理だ』って言われました。だから、親が無理ならって思って、おばあちゃんにも言ったんです。『お姉ちゃんか妹くれ』って」
「もっと困っただろうなぁ」
「ところが、これがそうでもなくて。おばあちゃんはニッコリ笑って『いい子にしてたら、きっとできるよ』って」
「へぇ~」
「それで、おばあちゃんのためのお花買いにきたら、本当にできました。しかも、お姉ちゃんと妹の両方」
「そうだね。いい子にしてて良かったね」
「これは、おばあちゃんからのご褒美です」
「優しいおばあちゃんだね」
「郁実さんのお花が気に入ったんだと思います」
「だったら、嬉しいなぁ」
「郁実さんのおかげです」
「いやいや、お花の力が偉大なんだよ」
「じゃあ、お花にも感謝です」
さやかが、店の中の花たちに手を合わせた。その仕草に、郁実が笑った。
「ここのお花はドラゴンボールですね」
「ん?」
「願いを叶えてくれる、ドラゴンボール」
郁実が「ははは」と笑った。
「それじゃあ、おばあちゃんは神龍だ」
「ほんとだ」
さやかも笑った。
「さやかちゃん、『ドラゴンボール』知ってるんだね」
「最近、読んでるんです」
「へぇ。俺も、子供のとき夢中になったなぁ。今でも好きだけど」
「私も、お兄ちゃんとアニメ見てたんで、チラッとは知ってたんですけど、小さい頃だから記憶があいまいで。だから、改めてちゃんと読んでみようと思って」
「うん。あれはいいマンガだよ」
「…あの、」
「ん?」
「郁実さんは、『強くなりたい』って思ったことがありますか?」
「悟空みたいに?」
「はい」
「…ないなぁ」
さやかが「ですよね」と答えた。
「俺は、優しくなりたいなぁ」
その一言に、さやかは驚いた。
「もう、優しいじゃないですか」
その一言に、郁実は「へへ」と嬉しそうにした。
「ありがとう。でもね、俺は優しくなんかないんだよ」
そう話す郁実の目に、さやかは、何か影のようなものを感じた。
「オラ、優しくなりてぇ」と、郁実が悟空の口調をマネして言った。さやかが「ははは」と笑った。
「さすが、実写版です」
「実写版?」
「美雪さんが言ってました。『あの子は、孫悟空の実写版だ』って」
「なんで?」
さやかが、笑いを堪えてニヤニヤした顔になった。
「…よく食べるから」
そう言うさやかを見て、あの時の「足りますか?」の言葉と、美雪の笑い声の意味がわかった。
「余計な事言いやがって」そう言って笑う郁実が、さやかには、なんだか嬉しそうに見えた。
「郁実さんにとって、美雪さんは…?」
「うん?」
「どんな存在ですか?」
郁実が一度「うん」と言葉を置いた。
「さやかちゃんと一緒だよ。お姉ちゃん」
「お姉ちゃんですか」
「うん。そう。お姉ちゃん」
そういう郁実は、少し恥ずかしそうな、照れくさそうな、そんな顔をしていた。その郁実に、「じゃあ、私にとっての郁実さんと同じですね」と返した。美雪に言われた事と同じ事を言われ、郁実は驚いた。
「お兄ちゃんって事?」
「まぁ、そんな感じです」
「うーん、でもねぇ。多分、俺にとっての美雪さんとは、ちょっと違うんだよ」
その時、さやかの口元がちょっと笑った気がした。
「…いや、やっぱり、同じですよ」
「いや、う~ん…?」
「なんて説明したらいいんだろう」と、考えている郁実に、「お花屋さん」とさやかが声をかけた。思わず「はい」と返事をした。
「これ、売ってください」
指さしたのは、一輪百円の赤い花だった。
「もちろんいいけど…どうしてまた?」
「ふふふ、嬉しい日には、お花を買うんです」
郁実が赤い花を包み、それを受け取ると、さやかは「じゃあ、帰りますね」と言った。
「うん。またいつでもおいで。可愛い妹にも会えるかもしれないし」
「はい、楽しみにしてます」
手を振る郁実に、さやかは買ったばかりの赤い花を持ち上げて挨拶した。


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