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生きる意味は必要か
「わたしなんか、生きてる価値がない」とおもうことはないだろうか。
わたしはずっと、そうおもっていた。
こんなからっぽのやつが生きていていいんだろうか。
いったい、なんのために生きているんだろう。
そうかんがえては、陰鬱な気分になっていた。
ひとは、どうして生まれてくるんだろう。
両親に望まれて生まれることもあれば、そうでない場合もあるだろう。
ただ、ひとつわかるのは「自分で望んで生まれてくる人間はいない」ということだ。生まれたいからといって、自分でこの世に出てくるわけにはいかないのだ。
むかし、よく「産んでくれと頼んだ覚えはない」と親に言い放っては張っ倒されたものだが、これはほんとうにそうだとおもう。
生命の誕生は、他者に委ねられている。
じゃあ、だ。
自分で生まれたくもないのに生まれてきてしまったこの命に、意味はあるのだろうか。
勝手に産み落とされて、価値があるないを判断される。それってなんかおかしくないか。わたしの意志はどこにあるんだ。
たとえ「生きてる価値のないやつ」ってだれかにののしられたって、「知らんがな」としか言いようがない。べつに、もともとだれかの役に立つために生まれたわけじゃない。
ならば。そんなものなぞ、なくていいのではないか。
おれにも、あいつにも、あの子にも。等しく意味も価値もない。
生きることには価値も、意味も、資格もいらない。
そうかんがえたら、ふっと気持ちが楽になったのだ。
価値観は変わっていく。
そもそも、価値ってなんだろう。
生物の「種」としての役割だけで言えば、子孫を作り、「ヒト」が繁栄することだけが価値だろう。でも、いまそんな価値観で生きている人間がどこにいるだろうか。
価値観は時代とともに変わってゆく。身分制度があった時代も、女性には選挙権がなかった時代もあった。その時代には、それが「当たり前」のことだった。いまそんなことを口走れば、とんでもない差別主義者になるだろう。
価値観は常にアップデートされ続けている。
いまはまだ「価値がない」ことでも、100年後にはそれがものすごい価値を持っているかもしれない。未来のことは誰にもわからないのだ。
ならば、移り行く「価値」にわざわざとらわれる必要はないのではないか。
じゃあ、なんで生きているんだろう。
べつにいつ死んでも構わないが、いたいのはいやだし、なんかこわい。
「自らの命を絶つ」という勇気ある選択は、おくびょうでヘタレな自分にはとてもできそうにない。
だから、なにをするわけでもなく、ただ命を繋いでいるだけだ。
でも、せっかく生きているのならば、やだなぁとおもっているよりもたのしいほうがいいし、笑っているほうが得な気がする。つまらなくても、たのしくても、人生の長さはおなじなのだから。
いつか、この命が終わるときに「たのしかったな」っておもえたらきっと、人生は勝ちだ。
だから、自分に生きる意味も価値もなくても。
その「たのしい」を積み重ねていくために、日々の空っぽな時間を過ごしていくのだと信じたいのだ。
「なにも成さないわたし」でも、生きていたっていいのだ。
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