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わたしとあなたの世界と距離感
以前、こんなnoteを書いた。
世間のことに興味がない
思えば、幼いころから自分の世界に入り込む子どもであった。
ほかのクラスメイトや、周りの流れにまったく関心がなかった。
親や教師にはよく心配をされていたような気がするが、我関せずで生きてきた結果、こんなおとなになってしまった。
世間を震撼させる殺人事件も、人気ライターの二股も、どこぞの建造物が燃えたことも、世界が仰天する感動の物語にも。
「どっか知らんところで知らん誰かがなんかやっている」以外のなにものでもない。そういう意味では倫理観がバグっているとも言える。自分には関係がないし、知ったところでどうでもいい。
まぁ、おなじ不倫でも、キャラとか周囲のお気持ちでバッシング度合いに差があるのはかわいそうだなぁ、とぼんやりかんがえたりはするのだけど、それもたぶん、自分がお気持ちで怒られる側という自覚があるからだろう。
半径5mの世界のために
わたしは半径5mの世界で生きている。手を振れば見える、呼べば聞こえる、そういう距離感でいたい。
その空間には、入りたいひとが入ってきてくれればいい。
入りたくなければ外から見ててくれればいい。「ここ、狭いよ!」って文句をいうひとには、「外のほうが広くて気持ちがいいよ」って言う。
べつに5mという数字に深い意味はない。高校時代に聴いたアジカンのアルバム「君繋ファイブエム」がすごく好きだったので、そこから拝借して「君と僕」の距離の最大値を5mにしている。でも、「5m以内」ってちょうどいい広さなんじゃないかなぁとおもっている。
まぁ、あなたのなかで、快適に過ごせそうなてきとうな距離感を思い浮かべてくれたらうれしい。半径が1mだと、ちょっと通勤ラッシュみたいでいやだけど。
その中にいてくれる人が増えてきたら、もしかしたらちょっと世界が広くなるかもしれないよね。世界は増築できる。
やさしくて、つめたい
で、その中にいるひとになにかが起これば心配するし、怒りもするし、ともに喜んだりはする。ただ、せまい世界の一歩外に出ればまったく関心をなくしてしまうのだ。
ひとに「やさしいね」と言われることもあれば、おなじくらい「冷淡だね」と言われることもある。その切り替えがものすごくシビアというか、わかりやすく態度がちがうのだとおもう。
「スキ」か「どうでもいい」しか存在しないのだ。中間がないというか、できない。おそらく、ひとによって、わたしの印象はまったく異なるものになっているのだろう。
5mの世界にいちど入って、出ていったひとにとっては、ものすごく裏表のある人間のようにおもわれているかもしれない。
もしまた入ってきてくれれば、そんなことはないんだけどね。もちろん、場合によってはお断りをしてしまうこともあるかもしれないんですけども。わたしの世界には出禁がある。
住みやすい世界のひろさがきっとある
増築したり出禁にしたり、世界というかまるで飲み屋みたいになってしまった。少年Barじゃん。や、うまくないな。まぁ、わたしは酒が飲めないから許してよ。うまい酒を知らないんだ。
インターネットの世界は広い。
たとえばニュージーランドやポルトガルにいる友人にもメッセージが送れるし、大企業の社長とも文字でやりとりができる時代だ。物理的にも、心理的にも、世界はどんどん広がっていくだろう。ああ素晴らしき哉インターネット。
でも、そんな時代だからこそ、わたしは5mの世界を大事にしていきたい。
その過程で、少しずつ広がっていったら最高だなぁ。でも、半径を1kmにするつもりはない。だって、見えなくなっちゃうじゃん、向こうが。
外の世界は「こんなのがおもしろいよ」って、友達がじぶんの5mを、リツイートで回してくれるくらいの距離感がちょうどいい。
無理に世界を広めてしまうと、知らなくていいところで怒らなきゃいけない。悲しまなくてはいけない。喜びもおおいだろうけども、残念ながらわるいニュースのほうが記憶に残りやすいのが人間という生き物だ。してもらったことよりも、やってあげたことのほうがよく覚えているでしょう。
だからわたしは、この小さな世界で生きてゆく。自分のキャパシティとか、能力にあった世界の幅って、きっとあるんだとおもう。だからわたしは、意識的にか無意識にか知らんけども、外の世界に感情を持たないようにしている。生きていくのがつらい原因が、入れる情報量のおおさによるものだとしたら。ちょっと世界を小さくしてみたらいいのかもしれない。
外の世界で目指すもの
と、言いつつも、ライターとして活動している以上は外に出ていかなくてはいけない。いいものを書いても、いろんなひとに読んでもらって、PVが取れなければ記事を書かせていただけないのもリアルな現実である。おっかないし面倒だけど、ちょいと大声を出さなきゃいけない場面は多々あるのだ。
ただ、ライターとして活動はしているけど、正直目立ちたいとか、有名になりたいとかはおもっていない。そりゃ、食べていける程度にもうちょっと売れたいな、とはおもうけど。
「書いた記事をもっと読まれたい」という欲はめちゃめちゃあるんだけども、「この記事を書いた自分が注目されたい」という気持ちはそんなにないのだ。そりゃゼロじゃないよ、もちろん。でも、そこそこでいい。あんまし見られすぎると緊張しちゃうじゃん。
わたしの知らん「あなた」が主役の、人生という名の物語。そのなかに、ぐいぐい入っていこうとはおもわない。あなたの5mなり、100mなり、50kmを大切にしたい。あなたの世界と、わたしの世界はくっついてもいいし、べつにそうでなくてもいいのだ。
ちょっとスタッフロールを見てみようか。「少年A」にはセリフが多少あるだろう。「少年B」は、Aよりもちょっと、セリフがすくない。せいぜい、あって一言だとおもう。ただ、わたしの記事がその一言になって、ちょこっと心に残ってくれたらいいんだ。言ったのが誰かは、大事じゃない。
だから、わたしは「少年B」という。
「あなた」の世界の、モブであれたらそれでいいのだ。
なんちゃって。名前の由来はぜんぶウソだよ。へへっ。
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