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人間関係、ベン図でよくない?
さいきん、なんでも共感をしなきゃいけない、させなきゃいけないような空気があるように思う。共感がいたるところで氾濫している。共感の過剰供給と言ってもいい。
たしかに、人間はひとりでは生きていけない。だからこそ、なにかに属し、なにかと繋がっていかなければならない。でも、ここんとこすこしばかりその力がつよすぎるように感じている。
否定をせず、相手に合わせて受け取らなくてはならない空気。自分と相手の円がぴったり重ならなければならないような。正直なところ、その空気感にちょっと疲れている。
共感というやつはくせもので、プラスに働くこともたくさんあるのだけど、マイナスの話題になるととたんに狂暴になるのだ。
SNSで見たことがあるでしょう。
あんなことをやっている、許せない!
共感によって増幅された正義感が暴走し、行きつく先は炎上と言う名の集団リンチであったり、個人情報の特定や暴露であったりする。決して許されない行為であるはずのことが、正義の名のもとにたやすく行われている。これはまさしく、共感の負の側面ではないだろうか。
共感がわるいなんておもっていない。ただ、何にでも共感を求めてしまうのは、ちょっとちがうような気がしているのだ。
物事には向き不向きというものがある。デートのために買った、かわいいブランドの服で登山に行くやつがいるだろうか。わたしたちは、「共感」という行為に、どこまで求めるつもりだろう。
人間関係、ベン図でよくない?
ここ1年くらい、そう思って生きている。わたしの円と、あなたの円。
合わさるところだけ分かり合って、その他のところは勝手にすればいい。
理解のできないことがあったっていい。政治的志向がちがってもいい。
たとえば阪神ファンのわたしにだって、巨人ファンの友人がいる。それでいいのだと思う。
あえて共感をしなくてもいい。理解も、納得もしなくていい。無理に重ねて、かたちがいびつになってしまうことのほうが怖いような気がする。
そういう考えかたもあるんだなぁー。まぁ、そりゃちがう人間だもんな。
そう思って、ひとのことを遠目にぼけーっと見つめていたら、他人の感情に飲み込まれずに生きていけるんじゃないかなって思うのだ。
自分の感情だけでも、付き合って行くのがたいへんなのに、ひとの感情にまで振り回されなくても、いいんじゃないかな。あえていま、そんなことを思ったりする。
あ、共感はしてもらわなくても大丈夫ですよ。なんてね。
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